FILE19 和合を求めて  47

目覚ましが鳴る少し前に目がさめた。目は覚めたものの、身体がなかなか起きてくれない。怠惰な生活をしていたから、早起きすることを身体が拒否しているようだ。

 身体と意識の調和をはかった。ベッドの上で身体を楽にして、大きく息をすう。その時、息とともにまばゆい光が身体の中に行き渡るのを想像する。そして、息を吐くときには足の先から頭の先まで闇が身体の中にやすらぎをもたらすことを想像する。ゆっくりゆっくり呼吸をしていると、あまりの気持ちよさに身体中が光に包まれたような、自分自身が光輝いている感覚に陥る。この瞑想中に光を痛みのある場所に集中させるだけで、痛みが消えてなくなってしまう。
 胸が熱くて、身体中が炎になっているようだった。数分後、窓から射し込む朝日と、自分の中に存在する光がなんとか和合して、起きあがれるようになった。シャワーを浴びて身を清めたあと、昇りはじめた太陽にあいさつをして出かける準備を終えた。
 空を見て、感じた。強く強く思った。この一歩一歩が、存在へと続く道なのだと。前へくり出す、この足と、その想いが、新しい道を創りだすのだと。

 昨日歩いた道をバスが進む。想いを運びながら。大地を踏みしめて、天と地を眺めながら、一歩一歩あるこう。
 海岸で白いサギがおひるごはんを食べている。砂の浅瀬が太陽を浴びてきらめいていて美しい。私は足を止めてその様子を眺めた。細い足をひょこひょこ前へくり出し、首を振って魚を探す。遊ぶように踊るように水辺でエサをついばんでいる。お目当ての魚を見つけると、ひょこひょこが加速する。おだやかな波と、一羽の白鷺。幸せな午後。
「あんたは、人のことをする前に、ちゃんと自分のことをしなさいよ」
「なに?」
「ほら、ずっと溜めたままでさ。自分のこともできていない人間が、大きなことをやろうと思っても無理さ。まずは、自分のこころを整理しないと。全部吐き出してごらん。そのこころの中にあるものを、膿になって腐りきって、臭気を出すその前に。プツプツと発酵して、ガスを生み出しているおぞましいその記憶を」
 閉ざしていた扉を開くと、腐りきった私の感情が垂れ落ちてきた。クサイ。ひどい匂いがした。羞悪なドロドロとした感情を抑えて、抑えて、殺して殺して、それでなにも知らないふりをしてきた。
「すべてをぶちまけていいんだよ、感情のそのすべてを。吐き出してごらん。
 悲しくて、つらくて。なにも見ないように、こころの奥底に閉じこめてきた、その記憶の扉を開いてごらん。もう大丈夫。すべてを解決できるさ。それを認めないと、越えてなんてゆけないんだから」
「越えられないカベはないさぁ。どうしようもないくらいに大きくみえるカベだってさ、案外抜け道もあるもんだよ。神様は意地悪じゃない。やさしいさー。びっくりするくらいにね。
 自分に降り懸かることはすべてが学びのためだと考えてごらんよ。すべてを受け入れるわけさ。そうすれば、自然に道は平坦になる。抵抗しようとするからでこぼこになるわけさ」
「そうかなぁ?」
「そうさ。おばあは何年生きていると思う?。おばあは、そう学んださ。お前はいっぱい逃げたから、問題がどんどんおおきくなったわけさ。もうだいじょうぶさぁ。前を向いて歩けばいい。
 胸張って、過去の扉をあけて見せるって自分に言い聞かせてごらん」
「キヨさん」
「そろそろ、次の場所に行く時間だよ」

「私はなんのために生まれてきたんだろう」そのことだけが、私の唯一の問いだった。
 自分の身体を、自分の血を汚れていると感じ続けてきた。今もなおその呪縛から逃れられなくて、私は生まれてきたことさえ悔やみつづけていた。
「それを抜けない限り、新しいところには行けないよ」
 ティダはそのことをいつも指摘する。彼には何も言っていないにも関わらず、ティダは私の本質をついて、こころの中のトゲをいじる。深く深くこころの中を触られる瞬間は痛くもあって、また甘美でもある。
 なぜ彼はそのことを知っているのだろう。誰にも告げていない、私のこころの中のことを。ティダとは、私自身の妄想が作り出した私の分身なんだろうか。暗闇の中で私はいつもそんな想像をする。自分の分身に恋い焦がれる私は、ただのナルシストなのだろうか。
 龍神の海にこの身体を沈めることを拒否されて以来、平和のために、愛のために、身を捧げることを神に誓った。私というとるに足らない存在などすべて投げ出しても構わない。あの悪夢の世界を止めるためにならば、そのためになにかが出来るのならば。

 そのために生まれてきたのだと、強く胸を張れるなにかが欲しかったのだ。今になって、やっとわかるなんて。愛に生きるために生まれてきたのだと、強く確信をもって言いたいがために、私はこの道を歩いてきたのだ。
 汚されるためにではなかったのだと・・・。

 
 すべてをゆるして
 癒して
 愛して
 おだやかに
 それでも歩いて 歩いて 歩いて

 どこまで歩けば たどり着けるのだろう
 ゆるして ゆるされて
 癒して 癒されて
 愛して 愛されて
 水のようにおだやかに
 風のようにたおやかに


 つかれた身体をバスに投げ出して、心地よい揺れに身をまかせて眠りにつきながら、すっかり日も暮れた那覇に帰り着くと、芳明が私を迎え入れてくれる。「今日はどうだった」とか「どこまでいったの?」とか「どんなことがあったの」とか、そんな言葉はなにもなくて、ただただ「おかえり」という彼。本当は、その日一日の出来事を聞きたくて仕方がないのだろうけれど、私を気遣ってなにも質問をしない彼の優しさが、こころだけではなく身体にしみた。
 私の祈りの道は、ただひたすら歩き続け道を進み、そしてバスで戻るだけのものではない。那覇のこのホテルに戻って、互いの一日を無言で共有することも、すべて。
 彼の無垢な愛情に包まれてここまで歩いて来れたのだということを、彼がひらく扉の向こうに私は知った。
 これまでにたくさんたくさん芳明を傷つけてきたのかも知れない。彼の優しさにあぐらをかいて、私はなにも知らないふりをしていた。小さな浴槽に頭まで浸かりながら、そんなことばかりを考えていた。
 人が人を想う気持ちや、自然の雄大でいて繊細なやさしさや、ふとすれちがう見知らぬ人の小さな親切が、細胞にしみてゆく。それは幸せであり、私を満たすものであり、かつ軽い恐怖をともなうものだった。私は周囲の人や自然に対してそれだけのものを返せているのだろうか。与えられたものを、きちんと返していられているのだろうか・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?