FILE12 愛憎(2)  39

私がはじめて高知の大地を踏んだのは、あの不思議な洞窟を通った日だった。翌日、私たちが出てきた洞窟を探してその周辺を探索したけれど、そんな洞窟などどこにも見つけることはできなかった。地元の人に聞いても、誰も知らない洞窟。そんなことが起こりうるのだろうか?だけど、私たちは実際に高知にいた。そして、高速バスで神戸を経由して大阪に帰ったのだ。
 窓の外を流れて行く景色は紛れもない四国のそれだった。足摺岬から高知まで出て、バスに乗り、香川、徳島を通り、鳴門大橋を渡って淡路島に入り、そして神戸に着いた。なにもわからないまま、沖縄のあの風景の意味もわからないまま、私たちは頭の中が混乱したまま大阪に戻ったのだった。
「世界は、まだ滅んでいない。まだ、間に合うさ。僕にも君にも、まだやれることがある」
 私はあの洞窟で、思っていたことをすべてぶちまけてしまった。芳明は、そんな私をおかしいとは一言もわずに、一緒にやれることを探そうとしている。少なくとも、時間はあるみたいだ。そして、力強い味方もできた。
 私たちは今、再び高知へと向かっている。沖縄と高知を結ぶ不思議なラインを調べ、あの謎を解くために。

 デッキで風を感じようと、私はそっと2等の大部屋を抜け出した。強い風が真っ暗な海から吹きつけてくる。甲板へのドアを開けるのさえ、思いきり力を出さなければならないほどだ。階段を上がり、真っ暗な空を仰いだ。薄曇りの空には、ポツリポツリと星が輝いている。私は手すりにもたれかかったまま、空を眺めていた。
 不思議なことばかりが起こって、もういちいち驚いているのもばからしくなっていた。そういう時は、ただひたすら空を見るに限る。
 あの日、あのオレンジ色の空を見た日、自分の感じるままに生きなさいと、私の魂をあの家から解放してくれたのは彼だ。幼い私をいつも呼び続けていた、名前も知らない不思議な存在。この星のきらめきのように、美しい人。彼がこんな風にはっきりと姿を現したのは、はじめての出来事だった。
「君が自分の血を汚れていると思っている限り、地球の水はきれいになったりはしない」
「なぜ?」
「なぜ?聞き返したいのはこっちの方だよ。すべてはひとつだと、そう考えている君が、なぜ自分のことだけは例外だなんて都合の良い考え方をしているんだ?」
 私のこころを切り刻んで血の滲み出るようなセリフを、子供に説明するような優しい口調で語りかけてくる。私は、その言葉を耳で聞いているのではなく、こころでダイレクトに受け取っていた。だからこそ余計に私の胸は痛みに呻いていた。
「自分を愛することは世界を愛すること。自分を憎むことは、世界を憎むことだよ。君の中に憎悪が残っている限り、世界に平和はやってこない。厳しい言い方をすれば、君の中の消せない憎悪、それが世界の混迷の原因でもある」
 返すべき言葉がなかった。それは、キヨさんに延々といわれ続けていたことだった。

 世界を愛し、世界のために生きようと、私は願い続けていた。幸せにおだやかに暮らすことが無理なのだとすれば、せめてその他の人は幸せでいて欲しい。そして、世界は美しくあって欲しいと、そう願っていた。だけどキヨさんも彼も、その考え方が間違っていると指摘する。私の中の憎悪。私の中に存在している傷を癒していかない限り、世界を癒すことはできないと。私の中の膿をすべて出して、血をきれいにしない限り、世界はきれいにはなり得ないという。
「君が君を愛し、大切に思えるようになったとき、すべては激変するよ」
 彼の言葉が空に響いていくさまを、私は惚けながら眺めていた。
「人のこころが変わらない限り、世界は変わらない。
 戦争がなくなっても、人類はきっとまた違う方法で争いを求めるようになる。たとえすべての武器がなくなったとしても、また同じことをくり返そうとするだろう。これまで何度もそうしてきたように。
 今もまた限界まで来てしまっている。精神のバランスが崩れて、極が傾いでしまっているんだ」
 彼はまっすぐ私を見つめると、真剣な眼差しで言った。
「けれど、君はここまでよく歩いてきたね。これほどまでに過酷な生をおくるとは、あの時は想像もつかなかった。
 ありがとう。僕はずっと待っていたんだ」
 誰? 私は問い続けていた。 
「君が閉ざしているこころの扉を開けない限り、風は吹かない。中心に降りたって、その扉を開くんだ。
 もう同じことをくり返せないんだよ。お願いだ。祈ってほしい。世界のために、君のために。感じるままに、そのこころのままに・・・」
 不思議なビジョンは、そこで途切れてしまった。私はぽーっとしたまんま暗い海を見つめていた。

 祈ってほしいって、一体なにを祈るというのだろうか。
 私のこころのままに?
 いったいどうことなのだろう・・・。

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