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家庭内体罰のデメリット

昨今体罰は百害あって一利なしと国や有識者がいくつも資料を出している。例えばこんなかんじ。

体罰等が子どもの成長・発達に悪影響を与えることは科学的にも明らかになっており、体罰等が繰り返されると、心身に様々な悪影響が生じる可能性があることが報告されています。

厚生労働省 体罰等によらない子育てのために ~みんなで育児を支える社会に~


しかし今から20年前、我が家には体罰が結構あった。もちろん今よりも体罰は社会問題ではなかったし、noteで検索したところ私だけじゃないこともよく分かった。
でもそんなに単純なことではない。可能な限り忘却するように努力しているけれど未だに当時の思い出はフラッシュバックする。特に大きい声での喧嘩といった当時と似たような状況になると私は別人のようになってしまった。
そしてもっとショックなことに先日自身も暴力的な一面で大切な人を傷つけてしまった。
今日はそんな友達には言いづらい思い出を消化するためnoteを書く。


備考
この記事の目的はあくまで
親への批判ではなく、自分の過去を素直に受け入れること及び今後の認知や行動を改めることです。全ては自己責任!


⚫︎背景

具体的には幼稚園から中学生くらいまで。小学生までは結構酷かった。
中学生からは私の記憶も断片的だけど、部屋に突撃してきて怒られたことはあったように思う。母親がメインだったが、母親が父親に頼んで父親から怒ってくることもあった。二人とも割と感情表現が激しいタイプだった。

内容は、廊下に出される、ぶたれるが一番多かった。あとは水を飲ませてもらえなかったり家から追い出されたりもあった。原因はきっと私にあったのだろうけど、正直全然覚えていない。でも人道に反したものではなく門限を少し過ぎたとかピアノの練習をサボったとか些細なものだった気がする。

⚫︎当時の感情


早く終わらないかな〜って気持ち。正直怒られたこと自体が嫌すぎて振りかえって反省することなんて一切なかったと思う。
叩かれたくないからもうしないごめんなさい、嫌な気分にさせてごめんなさいって連呼した記憶がある。でも上部だけの言葉だった。門限を5分過ぎたことが何でそんなに悪いのか本当に分からなかった。

途中からはどうやって復讐しようかばかり考えていた。正直幼い頃から両親のことが憎かった。自分でも可愛くない子供だと思う。たしか小学生や中学生の時は自分の部屋を閉めて抵抗した気がする。実際に手を出すところは怖くて出来なかったけど頭の中では何回もシミュレーションした。まさに暴力の連鎖だ…。

⚫︎なぜSOSを出せなかったのか

SOSを出すべきことだと思わなかったから。
幼馴染にも悪いことをすると叩かれている子はいたし、当時珍しいことだと思っていなかった。一人っ子かつ核家族で相談できる人もいなかった。母親は人当たりは良いしネグレクトはしていなかったので、周りからは良い親だと思われていた。痛かったけど跡が残るほどではなかったから学校で聞かれることもなかった。
親も本当は怒りたくないけどあなたのために怒っている、母の父(私にとっての祖父)はもっと厳しかったという趣旨の発言をしていたし、理解は出来なかったけどそういうものかと思っていた。

話し合いをしても無駄だと思っていた
当時私は整理して話すことが苦手で、こちらが一生懸命話しても何言っているか分からないと一掃されることが多かった。自分の意見を話すことに自信がなくなり、親に何言っても無駄だと思ってしまった。ただただ悔しくて涙が出た。

⚫︎当事者として感じるデメリット

全くもって子供の教育に効果はない
親のことを心から信頼することができない
暴力という手段を覚えてしまう

厚生労働省のリーフレットにも書いてあったがしつけと体罰は全く違う。子供のために怒るのであるならば、体罰は全くもって意味がないと一当事者として断言する。

⚫︎最後に
どんなに小さい子供であっても、親以外の大人が必要なんじゃないかと思う。みんなで子育てができる環境が必要だ。親は完璧ではないし、子供から適切な人に適切なタイミングで悩み相談ができたほうが良い。

そして今まで誰にも話したことがなかったし自分でも逃げ続けてきた体験を初めて文章にした。代償は非常に大きい。でもだからといって私がハラスメントや体罰をしていい理由にはならない。絶対に負の連鎖は私が堰き止めないといけない。

いつかこの経験を笑い話にできるくらい精神的に強くなろう。そしてきちんと勉強してから、何かしらの形で子どもに関わる機会を作ろう。

もちろん自らの弱みを全て育て方のせいにするわけではない。もういい大人なんだし自己責任だ。本noteをもって今後一切親のせいにしないとここに誓う。


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