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「まぁいっか!」という魔法

この数ヶ月、子どもたちを主人に預けて歌いに出かけたりするようになり、
まだこのルーティンに慣れていない私は、自分が思っていた以上に緊張していたみたいだ。

寝ている間にぎゅーっと歯を食いしばるようになり、
朝起きたら顎がズキン、と痛むことが増えた。

そしてついに、歯の被せ物が取れてしまったらしい。
久々に鎮痛剤を飲んでなんとか眠ることができた。
連休中の出来事だったので、今から歯医者へ行く。(どきどき)

きっと、食いしばりは「緊張」だけじゃないな、と直感で思う。

私の中の「こうでなくちゃいけない」という縛りを手放すことへの抵抗。
それが、この食いしばりのエネルギーの中に込められている気がする。


他人と暮らすというのは、好きな人であっても、時に難しい。

家事の分担は今まで私が9.5だとすれば主人が0.5くらいだった。
それで我が家はそれなりに気持ちよく回っていたし、
主人が朝早くから夜遅くまで働いているのだから
ある意味家事を私がするのは当然だとも思っていた。

でも、子どもが3人になり、自分の音楽活動も少しずつ再開し、
色々私も家事以外に担うことが増えてきて、
だんだん私一人では立ちいかなくなってきた。
イライラすることが増えてきた私をみて、
少しずつ私が引き受けてきた9.5の家事が
7.5くらいになりつつある。ものすごい大変化だ。

すると今度は自分のやり方でやっていたことを、
相手のやってくれるやり方にある程度は寄せていかないといけない。
洗濯のたたみ方だったり、干し方だったり、小さなこと。
でも、その小さなことが意外と大きなストレスを伴ったりする。

食いしばりはきっと、そんなあれやこれやのこれまでの
ルーティンから新しいルーティンへと移行しつつある今への、
一つの抵抗というか、ストレスなんだと思う。
「受け入れなきゃ!」っていう焦りでもある。


人は生きていくのに几帳面さや丁寧さというものも
もちろん大切なのだと思うけれど、それと同じくらいに、

「鷹揚さ」

というのも大切なんじゃないか、と最近とても強く思う。

完璧を強く求める気持ちも、自分を高めるために時には必要だけれど、
生きていくための知恵として、

時に「まぁいっか!」と
あっけらかんと言える勇気。

それは人生の風通しを劇的に良くしてくれる魔法の言葉だ。
私は今それを家族から学んでいる。

社会では「まぁいっか」って言うことはあまり良しとされない。
みんな、他人にそういう厳しさを突きつけて、
また、自分にも突きつけて、ちょっと息苦しくなっている気がする。

でも、人は人である限り不完全なものだから。

「まぁいっか!」ってある意味「許し」だと思う。
自分も、相手も、全てをまあるく包み込む。

高くうろこ雲の広がる秋空を見ながら「まぁいっか!」って言ってみたら
ちょっと、自分にも、子どもたちにも、
そして世界にも優しくなれる気がした。

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