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時代は変わる

まだ30年と少ししか生きてないけれど

10年前とか20年前を、想像ではなく記憶として回想できる歳になって

「時代は変わる」という言葉の意味が実感として感じられるようになってきた。

最近、これまで私が空気のように、重力のように抗えないもの、自然の摂理として信じていた「当たり前」の多くは、ただの私が子どものころの時代の中だけのことでしかなかったのかもしれない、と気付き始めた。

デジタルなものとの向き合い方や
男女の役割のことや平等の意味

昔の「であるべき」や
「でなくては」を当てはめて考えてみると、

あ、ズレてきたなぁ、
時代っていうのはこんなに
変わるのか、と驚いた。

こんなに変わるのなら、
今「当たり前」なんて言われてるものは
ホントに簡単に裏返るくらいの危ういものだって。

だから自分の考え、信じているもの、それをもっと大切にしようとも思うようになった。

私は自分が早くに家を出させてもらって、女は早く家庭に入れとかも言われた覚えもなく、どちらかというと保守的というよりかは結構新しい考えに柔軟な方だっていう自負があったけれど、自分の「新しい」がもはや「新しくない」ことを知って、なんだか昔に哀愁のようなものが湧いてきた。

それは、男は仕事、女は家事とかそんな大きなことじゃなくて、子どもに大山のぶ代さんの声のドラえもんの方にできれば愛着を持って見て欲しいなとか、そういう小さいことなんだけど、

でも、子どもたちは子どもたちで、今をスタンダードに、懐かしく思うようになるんだろうな。

自分は歳を重ねているのに、自分の思い出は時代の流れに負けずに結構鮮やかに留まり続けているんだと気付いて、なんだか自分がうんと年老いたように感じた。

実際は、今のドラえもんと私が見ていた頃のドラえもんとを見比べると画質とか、比べ物にならないくらい違っていて驚く。

時代は確実に変わっていってるんだよなぁ。

過ぎ去った時代や文化、価値観を懐かしく思いながらも固執せず、今とうまく折り合えつけながらやっていきたい。

そして、そんな変化の中でもやっぱり「ここは変わらないよね」ってところを見失わずにいたい。

今のこの「時代は変わるんだ」という新鮮な衝撃でさえ、これから初めてのことではなくなっていく。

これまでの歴史の中では一番新しい「今」でさえ、所詮また数十年も経てば懐かしいものになり、子どもたちもきっといつかそれを目をすぼめて懐かしく思う日が来るのだろう。

諦めること。手放すこと。
懐かしく思う気持ち。

私たちはそうやって変わり続けていくものの中で時に流されて、時に抗いながらも、ご飯を食べて、大好きな人と手を繋ぎ、散歩して、空を仰いで生きていく。


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