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たとえて言えばロング・トレイン

 一時期、名古屋と大阪に週に一度は訪問している時期があった。

 第一子を出産して仕事に復帰した後だった。世間はコロナ禍真っ只中で、移動も憚られるような時期。私は名古屋と大阪のお客さんを担当するようになったものの、上司からは九割はリモートで仕事ができると聞いていた。それならば子持ちの自分でも担当できるかもしれない、と安心して承諾した。

 が、蓋を開けてみれば担当するお客様たちはほぼ出社しており、リモートよりも対面で打ち合わせをすることのほうが多かった。私は上司の指示で名古屋支社および大阪支社に所属する名刺を作っていたため、お客様は私が名古屋および大阪に住んでいると思っていることもしばしばだった。私の前任者は名古屋および大阪に籍を置いていたため、東京から担当することになるというのは少しサポートが薄くなるように見えることを危惧したのだろう。打ち合わせで「今日は東京から来ました」と言うと、え!?とびっくりされることがしばしばだった。子供がいながら出張ありの仕事なんてこなせるのかと心配だったけれど、夫に任せれば後のことは心配いらない。むしろ泊りの出張をセットしてしまえば一晩は自由だ。今考えれば当たり前だが、出産したからといって私が子育ての全ての責任を負う必要はなく、分担していけばいいのだ。「子供がいるからあれもこれもできないかも」と自分で考えすぎなのかもと思う。こうして私は出張を名目に中部~関西地方を楽しむ権利を手にしたのだった。

 東海道新幹線に乗ったら、AU BON VIEUX TEMPS(オーボンヴュータン)の焼き菓子詰め合わせを買うのがお気に入りのルーティーンだった。新幹線好きの間でよく知られていたが、残念ながら2023年の車内販売終了と共になくなってしまった。とても人気で、朝九時くらいまでの新幹線に乗らないと売り切れていたことを覚えている。たまに買えるとその出張は幸先よく感じたものだった。

 名古屋までは一時間半、大阪までは二時間半。メールを見たりウェブ会議を聞いたりしていると、案外すぐに目的地には到着する。頻繁に出張に行っているというと「大変だね」「面倒だね」と同情した反応を受けることもあったが、私はこの移動時間が苦痛ではなかった。むしろ移動するのが好きなほうだ。出張族をやるにも向き不向きがあるのかもしれない。

 名古屋に訪問するときは、駅のホームできしめんを食べていた。薄くて平べったい麺に、関西風のあっさりした出汁。これだけで出張気分を十分味わうことができる。なんてことない駅の立ち食いうどんなのに、並んでいることもある、人気のお店である。ホームごとに系列店が違ったりいろいろあるようだが、私はそこまでは気にせず入れるときにサッと入って食べていた。入れば1分もせずに麵が出てくるので、新幹線の到着まであと5分という限られた時間でも食べることができるのがありがたかった(しかし一度あまりに慌てて食べて火傷しかけた)。せっかく出張に行くのだから現地のおいしいものを、と思っても、なかなか時間のないときもある。そんな時でも名古屋駅ホームのきしめんはいつでも私に出張の醍醐味を味わわせてくれる、貴重なスポットだった。

 大阪に行くときには551の豚まん。これは多くの観光客も含めた鉄板だろう。私もお土産に必ず買って帰り、一つは新幹線の中で、もう一つは家で食べていた(結果家族分が足りないこともあった)。豚まん以外にも私は551のちまきやシュウマイ、お弁当も大好きで、新大阪駅の地下にある店舗でよく買って帰っていた。お弁当は注文すればその場で作ってくれるので、帰り際に買えばアツアツのものを新幹線の中で食べられるのが良かった(しかし満席の時は少しにおいが気になった)。

 基本的に名古屋も大阪も日帰りで行ける距離なので、家庭のこともあり日帰りできる日は日帰りしていた。が、二日続けて名古屋と大阪に行くなら泊ってしまうほうが早いこともある。そんな時にはどこに泊まろうとホテルを選ぶのが楽しかった。夜ごはんは出張先の事業所の人と飲みに行くことが多かったけれど、そこから先は自分の時間である。ホテル選びは事業所から少し離れたエリアを予約しがちであった。

 当時はコロナ禍だったので、ホテルの値段がびっくりするほど安かった。きっと今では出張既定の金額内に収まらないだろう。そういった点も私の出張生活が楽しかった理由のひとつかもしれない。

 ホテルを選ぶときには、ちょっと古めの老舗ホテルを選ぶようにしていた。今は駅前に小奇麗なビジネスホテルも増えているが、そういったところは出張特化すぎてあまり味気がなく、古いホテルのほうがその地域の歴史を感じられるような気がしたからである。名古屋だったら名鉄グランドホテルが好きだった。駅に近いし内装がレトロで可愛い。大阪で泊まった中で一番楽しかったのは大阪キャッスルホテルである。こちらも天満橋直結で、ちょっとレトロな風情あるホテルである。修学旅行生が泊ることもあるようで、部屋にもう一人寝れるような長いソファが備え付けでついているのも面白かった。

 夜飲み会がない日は、少し早めにオフィスを出て、ホテルでお弁当を食べつつその地域ローカルの夕方のニュース番組を見るのも好きだった。旅行の時にはあまり見ないが、出張中の空き時間ならそんな風にぼんやりテレビを見ることもある。自分がこの町に住んでいたらこのニュース番組を見るんだろうか、なんていう妄想をしたりしていた。

 普段子供と寝ていると夜泣きやら何やらで何回か起こされるが、出張の時には邪魔が入らないのでぐっすりと眠ることができた。これも私が出張が好きだった一因かもしれない。朝ごはん付きのプランの時はしっかりと食べて、ついていないときは近所のモーニングが出るお店を訪問してから、次のアポへと向かう。自分の知らない街で目覚めて、いつも乗らない路線の通勤電車に乗るのが好きだ。普段なら辟易する朝の満員電車も、出張先の街で乗れば、自分の知らないところでも世間の人はこんな風に働いているんだな、という新鮮な気持ちを味わうことができた。

 第二子の妊娠と共に出張の日々は終わりを告げ、東海道新幹線に乗るのは帰省の時くらいになった。私はどうもあまりバリキャリっぽくないエピソードばかりなので、たまにはと思い出張回顧録を書いてみたが、こうして振り返ってみても私の出張はずいぶんお気楽なものだったなあと思う。多分、余裕があったのでいい思い出ばかり残っているのであって、もっと出張先での激務が待ち構えていたらしんどい記憶になっていたのかもしれない。これから先どんな仕事を担当するかわからないが、知らない街で目覚める感覚を味わいたいので、また出張に行く日々が来るといいな、と思う。

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