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ミッドナイトスワン(若干ネタバレありかも)

彼女には翼が生えている。

「ずっと一人で生きていかんといけんのんじゃ、つよならんといかんで。」と抱きしめてくれた人が、はやしてくれた翼が。

孤独と孤独が重なって、ぶつかり合ったら抱きしめあっていた。ただ生きているだけなのに傷だらけで、涙には際限がなく枯れ果てることもない。生活は美しく丁寧に編集された物語じゃないから、理不尽で、誇り高くピンヒールを鳴らしても孤独はどこへもゆかず、日陰を歩かされる。苦痛は寄り添ってはくれないし、喪失に慣れることもない。

どうして、目の前の人が同じ人間で感情が、心があることを人は忘れてしまうんだろう。瑞貴の叫びが今も耳の奥に木霊している。

あまりにも愛に溢れ、あまりにもリアルで悲しい映画でした。容赦のない現実と、その中で咲く愛に涙があふれて止まりませんでした。どうすることもできない孤独や絶望や怒りを、自分や他人を傷つけて叫ぶことでしか表現できない一華に、凪沙さんは幼いころからの自分を重ねたのかもしれない。そうじゃないかもしれない。でも、孤独の中で一人で生きていかなくちゃいけないんだといったけれど、一緒にご飯を食べ、一緒に夜の公園で踊った。いただきますを言いなさいと言った、一華の髪を慈しむようにとかした。一華も、凪沙さんが自身の身を削ったら怒ったし、彼女と一緒に踊った。愛に確かな形はないからいつだって探してしまうけれど、これが愛なのだと信じていいような気がした。

自分の身を顧みないほどに愛したい存在、愛を受けてほしい存在。自由にどこへでも羽ばたける翼を、生まれたときに備えられている人ばかりじゃないから、でも一華にはその翼になるものがバレエだったから。

翼をもがれ飛び立ったあの子も、きっと本気で一華に羽ばたいてほしいと願っていた。


彼女には翼が生えている。

あの子がきっかけをくれて、優しい先生が羽の使い方を教え、彼女が飛ぶ力をくれたその翼で、どこへでも羽ばたいていける。一人で生きていかなきゃと教えた彼女が、くれたのは一人じゃないという愛だった。

海辺で踊る一華。それを幸せそうに眺める凪沙。孤独と孤独とが重なり合って抱きしめあって家族になって、どんな不条理で残酷な終わりだったとしても、ただ「あなたに会えてよかった」ということ。

美しい翼を広げ、孤独と喪失をピンヒールで響かせ誇りを靡かせながら彼女は歩いていく。抱きしめてくれた人はいないから、喪失と一緒に生きていくことにした。


どうか、いろんな方に見届けてほしい映画でした。彼女たち、一人一人の人生を。これはLGBT映画じゃなく、愛の映画であり、残酷な現実を生きる女性たちの映画。

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