見出し画像

26歳女子が考えた「まちの終活」とは。

こんにちは。佐藤春華と言います。
友達からは「はるお」と呼ばれています。
秋田県出身の26歳です。

医学部の看護のコースに進学して看護師になった私ですが、大学時代には地域活性化に関する事業にも興味がありました。
そして今、地域の中で活躍する看護師になろうと、縁あって現在は京都府・綾部市というところで「コミュニティナース」という仕事をしています。


▶︎コミュニティナースとは?

病院や施設ではなく、地域の中で、住民とパートナーシップを築きながら地域の健康増進を図る、いわば「新種の看護師」です。

そんなわたしは今、「まちの終活」なる事業を思いつき、実際に運用できないかと、日々模索しています。


▶︎「まちの終活」とは?

近年、様々な地域で急速な勢いで進む人口減少・地方の過疎化。これらの地域に関して、これまでは「維持困難な地域をどのように活性化するか」といった話題が多くありました。
しかし、地域のマンパワー不足による疲弊の声が頻繁に耳にされるいま、「地域活性化」ありきではなく、住民自らが地域の現状に向き合い、地域を計画的に閉じることも視野に入れた活動展開って・・・

どこかにありますか?

その答えは、私にとって「NO」でした。

ーそれなら、作らないとダメだよね。ー

そこで思いついたのが、「まちの終活」です。

地域住民との対話やワークショップを通じて「地域の過去」を振り返り、「地域の現状」を見つめなおす。その際、地域から住民がいなくなる可能性も認識する。
そのうえで、現在の住民と将来の住民の幸福の実現に向けた、積極的な一歩を考えるための支援を行う。そんな活動にしていこうと思っています。


▶︎なぜ、「まちの終活」を思いついたのか?

私の中の「まちの終活」の動機は、3つあります。

まず1点目。
大学時代に終末期医療に興味を持ち、療養型の病院に就職した私は、あした亡くなってもおかしくない、そんな方々のケアをしていて、「どうしたらよりよい最期を迎えられるか」を考え毎日職場で患者さんと向き合っていたこと。

2点目。
コミュニティナースとして活動する日々の中では、山間部に住む人々の地域への愛着や思いに触れるとともに、どこか寂しげな雰囲気も感じることが、ほんとうに、多いこと。

3点目。
私の出身地は、秋田県男鹿市の中の、いわゆる限界集落にあたるような地域。
幼少期より、自分の生まれ育った地域は、将来なくなるかもしれないという感覚とともに育ってきたこと。
通っていた幼稚園は閉園し、近所で行なわれていた盆踊りや、全国的に有名な無形文化財である「なまはげ」の行事も後継者不足により出来なくなりました。

人はいつか息を引き取るという普遍があるのと同じく、まちも衰退していくという現実が、現代にはある。

そう感じることが、仕事をしている地域からも、ふるさとの様子からも、多かったのです。


そんな私が、コミュニティナースとして活動を始めて1年程経ったある日。

病棟看護師時代に毎日考えていた「どうしたらよりよい最期を迎えられるか」というアプローチは、一個人だけではなく地域を対象にしても出来るのではないかと考えるようになりました。

人の最期だけでなく、まちの最期も、納得や合意の上で、よりよいかたちを探していく必要があるのではないか?・・・と。



▶︎そもそも「終活」とは


「終活」という言葉、みなさんご存知でしょうか。
現在ではすっかり、エンディングノートなどが有名になりましたね。


これ実は、平成21年に“週刊朝日”が最初に使い始めた言葉と言われているんです。

当初は「人生の終わりに向けての事前準備」でしたが、
現在は「人生の終わりに向けての事前準備をしながら、これまでの人生を見つめ直し、残りの人生を自分らしく生き、自分らしい最期を迎えるための活動」と言われています。

「迷惑を掛けないように・・・」というものから
「よりより人生を送る為」という動きにシフトしてきているようです。


▶︎「まちの終活」って、聞いたことありますか?

「まちの終活」とは平成30年に、私、佐藤春華が思いついた言葉です。笑

「終活」の定義が「人生の終わりに向けての事前準備をしながら、これまでの人生を見つめ直し、残りの人生を自分らしく生き、自分らしい最期を迎えるための活動」

・・・なので、

「まちの終活」の定義は
「まちの終わりに向けての事前準備をしながら、これまでのまちを見つめ直し、残りのまちで自分たちらしく生き、そのまちらしい最期を迎えるための活動」

こう言えるのかな、と思っています。


▶︎「まちの終活」がなぜ今までなかったのか

遡ること20XX年、人類誕生。

それ以来の、農耕発展、文明開化。

そして戦争、高度経済成長。

これまでのまちは、発展ばかりでした。

しかし。

バブル崩壊、少子高齢化、地方の過疎化。

まちは、衰退していくという現代。

誰も経験したことのない時代がやってきました。



▶︎実際どんなことが起きているのか人口動態を調べてみた。(データまとめのコーナー)

▷「消滅集落」の現状
国土交通省の2015年度の調査によると、2010年度からの5年間で174カ所の集落が消滅。

▷人口減少は8割以上
また、前回調査と比較可能な6万4,130カ所のうち、81.2%に当たる5万2,058カ所で人口が減少。高齢者だけの集落も前回の575カ所から726カ所に増えています。

△前回調査対象区域における高齢者割合別集落数

限界集落を支えてきたのは昭和ひとけた生まれの高齢者。彼らが80代となり、体力の衰えで地域を支えきれなくなりつつあります。国交省総合計画課は「過疎地の人口減少は綿々と続き、苦境が増大している」と述べています。

参考URL https://www.sbbit.jp/article/cont1/33794


▷これからどうなるのか(2015年〜2025年まで)
2015年以後、10年以内に消滅する可能性のある集落は570あると推定されています。
つまり、平成27年(2015年)の時点で無くなってる集落の2倍以上の集落がこれからなくなっていく、ということですね。


▷「消滅可能性都市」の出現「消滅可能性都市」とは、少子化や人口流出により、存続不可になるおそれがある自治体のことを言います。( 20~39歳の女性人口が5割以下になると推計される自治体です)これは平成26年に日本創成会議が指摘した事案です。


▷2040年までに消滅の可能性があるのは・・・
全国1,718市町村(2018年10月現在)のうち、 2040年には、896の市町村が「消滅可能性都市」に該当。半分以上の自治体に当たりますね。そのうち、523市町村は人口が1万人未満となり、消滅可能性がさらに高いと考えられます。


▶︎こんな現代だからこそ、活性化「だけ」ではいけないのでは?

人口が減るのも、集落から人が居なくなるのも、
分かりきっていること。
もう遠くない未来に、たたまれていくまちやむらがこんなにもある、日本。

それならば、
「地域活性化で地域が幸せになる」だけでなく、地域のしまい方と向き合うことで、地域を守りたい!と、思うのです。


▶︎「ひと」と「まち」の違うところ

人だっていつか、必ず死にます。
でも、その必ず来る「死」の瞬間を、「不幸」にするのは悲しすぎます。
だからこそ今、「人の死」に対して、終末期の医療が発展しています。

「死」と向き合うことは、「生」と向き合うと。
「どう死にたいか」は、「最期の瞬間までどう生きたいか」。

「人」だけじゃなく、「まち」や「むら」だって、同じじゃないかと思うんです。


ーただ、「ひと」と「まち」は違うところがあります。

人の体は、死後、なくなります。
でも、まちの体、つまり土地は、なくなりません。

「まちの終活」には、終わった後も未来があるんです。

なので「まちの終活」の定義は、前述した「これまでのまちを見つめ直し、残りのまちで自分たちらしく生き、そのまちらしい最期を迎えるため」に加えて

「その先の未来を迎えるための活動」も含まれるのではないか?と思うのです。


▶︎はじめは賛同されにくいかも

この活動、人の終活の当初の活動に似ているのでは?と思っています。

日本人の中にはもともと、
「死」=「不幸」
「死」=触れてはいけないもの
というイメージがあったと思うんです。

しかし今や「終活」はマイナーなものでも、タブー視されるものでもありません。なので、まちの終活の場合も同じではないかなあと思うのです。


最初は抵抗感がある方もいらっしゃると思います。
だって、「まちの終わりについて話しましょうなんて。
ちょっと悲しい気持ちになっちゃいますよね。

でも、やっていくうちに、
「死」=「不幸」
「終わり」=「悲しい」
そんなイメージは払拭されていくのではないかと思っています。


▶︎どんな活動をするのか

「最期の瞬間までどう生きたいか」「どんな形でその地を残すか」を、
地域の住民自身が考え、言葉にすることから始まると思います。
そして、その想いを住民同士で交わらせ、その地域が望む形で残していければと思います。


具体的には大きく3つの活動があると思います。
1、話し合い→住民参加のワークショップや個別インタビュー
2、見える化→文字に起こし、記錄する
3、「想い」を「かたち」に→住民のニーズに沿うような記録の残し方を検討する


             
▶︎住民の「想い」を「かたち」にする方法

これについては、
地域からの実際の声や、実施出来るサービス内容の検討が未だ不十分なため
現在提示できるものが無い状態です。

まず、もっとも大切なのは、今後は地域の人、つまり「サービスの受け手」との対話を増やし、ニーズの把握をすることだと考えます。その地域の声が無くては、サービス内容の検討も何も、あったもんじゃない!と。


その地の人たちが何を望むのか。
まずは「現地に生きるひとびとに話しかけること」

だって、その地域のことだから。
意思表示はその地域の人自身のほか、誰がすると言うのでしょう。

「何か、記録が残ったらいいな」と言う声があったら、記録を残すお手伝い、
「誰もいなくなったあと、お花畑を作って、いろんな人が遊びに来てくれたらいいな」なんて声があったら、一緒に畑を耕して、種を蒔きましょう。


それと並行して、「サービスの作り手」との対話を重ね、
「地域の声」と「ヨソモノのアイデア」の掛け算をしていきたいなぁ、と考えています。

その掛けあわせの先に、面白くて、温かくて、新しい動きが生まれることを望んで。

「集落が空っぽになる」という過渡期を迎える多くの人たちが、時代とともに消えゆく地域に対して罪悪感や後ろめたさを感じることなく、「良い最期だったね」と地域を閉じていける。

そんなことを願いながら、具体的な活動を考えて行きたいです。


活動にご賛同頂ける方は、是非コメントやメッセージなど頂けると幸いです。
この活動は、この国に住むみんなの課題だと思っています。
すこしずつでも、手を貸してくれる仲間が増えたら嬉しいです。

佐藤春華

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?