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素直になれること、甘えられること

小さいころ、私は甘えられない子どもだった。

三姉妹の真ん中。おしゃべりな姉に、愛嬌たっぷりの妹。家族の中で私はなんとなく「冷静、沈着、勤勉」なキャラに定着していった。

高校生のころ、家族で知り合いがやっているお店に夜ごはんを食べに行った。そこのおかみさんが手相を見られるというので、みんな代わる代わる見てもらうことに。

私の番が来た。当時、高校卒業後の進路に留学という道も少し夢見ていたので、そのあたりのことを聞いてみれば、と母が言ったような気がする。

私の手相をじっと見ると、優しそうなおかみさんは本当に優しい声で「あら〜」と慈しむように言った。そして、

「海外へは行かないかも…?だって寂しがりやだもん」と言った。私も含めて家族みんなが意外そうな顔をしたと思う。

そしておかみさんは続けてこう言った。

「恋人ができたらすごく甘えるわね。いいのよ、甘えて。もっと甘えな〜!」

そう言いながら、私の背中をトントンッと優しくたたいた。

その言葉に、私は不覚にも泣きそうになってしまった。自分でも心に蓋をして気づかないフリをしていた部分をズバリと指摘されて、何と呼んでいいか分からない感情が透明な熱い涙となり、まぶたの奥にこみあげてきたのだ。

涙がこぼれないように、戸惑って軽く笑いながらも、ふだんから無意識にピンと張っていた心がじんわりとゆるんだのを覚えている。

高校卒業後、結局留学はせずに県外の大学へ進学し、そこで初めて恋人ができた。

それでも、当時はまだ心の底からは恋人に甘えられなかった。親友みたいにすごく話しやすくて、誰といるより居心地がいい関係だと思っていたけれど、ケンカをしたときなど、自分の心の底のほうにある気持ちをうまく言葉にできないことが多々あった。どう言えばいいのか分からず、言葉がのどの奥につかえて何も言えなくなってしまうのだ。

そんな私に根気強くつきあってくれた彼のおかげで、本当に少しずつ、私は感情を吐き出せるようになっていった。

それでも、まだ私はダメだった。

大学卒業を間近に控え、いろいろなことが重なって私のモヤモヤは募り、私たちの関係は決定的な小さなヒビを修復できないまま、いつ壊れてもおかしくないギリギリのところで続いていたと思う。

そんな不安要素を抱えたまま社会人になり、いつのまにか気持ちがすれ違い、私と彼は一度別れた。

◇◇◇

やがて、いろいろあって、一度別れた彼とまたつきあえることになった。

そこから月日はあっという間に流れ、もう10年以上がたつ。

今、年に一度くらいは本気のケンカをしたりもしつつ、2人で本当になかよく暮らしている。

お互いに心から甘えられている(気を張らないでいられる)し、素直に言葉を口にできていると思う。

大学時代の私が今の状況を見たら、きっと驚くだろう。こんなに心が穏やかで、言葉がするする出てくるなんて。

今振り返れば、あのときの私は今とはまるで別人だ。まるごと受け入れてもらえなくて傷つくのが怖い。だから弱い部分には壁を作り、その後ろから出られなかった。そんな自分を今はとても遠くに感じる。

あのおかみさんの言葉を思い出す。

甘えられない子どもだった私は、こうしてやっと、心をゆるめて、ちゃんと相手に頼って、甘えられるようになった。

甘えは信頼の証しだ。相手に甘えられて、相手からも甘えてもらえる信頼関係を築けたことを思うと、心の奥がキラキラと輝いているような、温かい炎が灯っているような、確かな安心感を覚える。

軽くて飛んでいけそうなほど、子どものころよりも子どもらしい気持ちでいられる今、私は少し大人になれた気がするのだ。

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