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姉とヨーグルト

ヨーグルトと言えば、思い出すのは姉のことだ。あまり意識したことはなかったけれど、思えば昔から、姉はよくヨーグルトを食べていた。

私には姉と妹がいる。大人になった今でこそ、姉妹で旅行に出かけたり仲よくしているけれど、小さいころはよくケンカもした。それでも、昔からおやつだけは仲よく一緒に食べてきた記憶がある。

小学校低学年くらいまでは、母が2~3種類のおやつを少しずつ均等に、色違いのプラスチック製のお皿に分けて、1人分ずつ用意してくれた。おやつが入った袋は台所の高いところに引っかけられていて、子供の背では届かない。おやつの時間にその袋がガサガサいう音がすると、3人で耳をそばだてながら、そわそわと席について待っていたものだ。

ガサガサの代わりにパタンと冷蔵庫の扉を開け閉めする音がするときは、甘いフルーツゼリーやアイスなどが出てきた。ヨーグルトも…と言いたいところだけど、たぶん当時はまだおやつ感覚でヨーグルトを食べる習慣は私の家族にはなかったと思う。

姉は昔からおしゃべり好きで、明るくて面白くてしっかりしていた。小さいころはいつもそんな姉にくっついて遊び回っていた。家の裏山を駆け回ったり、近所の子犬を触りに行ったり、よく姉の友達の家まで一緒に遊びに行ったものだ。野良犬に追いかけられて怖かったときも、不審者に声をかけられて戸惑ったときも、姉は頼もしく守ってくれた。

小学生の時に夢中になって読んで今でも大好きな本「ナルニア国ものがたり」シリーズを勧めてくれたのも、そういえば姉だった。姉は人に"いいもの"を勧めるのがすごく上手な人でもある。

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小学校高学年から中学生くらいのころは、よく3個パックや4個パックのヨーグルトを食べていた記憶がある。冷蔵庫を開ければ、アロエやりんご、いちごやブルーベリーなどの果肉が入っているヨーグルトが常備されていた。

姉妹の誰かが冷蔵庫を開けて、「ヨーグルト食べる人ー?」と聞く。「食べるー」とか「今はいらないー」とか返事があって、自分の他に食べる人がいればその分も取り出して、スプーンとセットにして「はい」と渡すのだ。それは時間に余裕のある日の朝だったり、学校から帰った後のおやつの時間だったりした。

中学時代の姉は、怒るととても怖かった。思春期で怒りが制御できない感じで、ケンカになるとよく叩かれたりしていた。大人になってから「あの時代は恐怖政治だったね」とたまに笑い話にするのだけど、その恐怖政治はある日「もう妹に手は上げない」という姉の突然の宣言で終わりを迎えた。その日以降、姉は怒ってもグッとこらえて、本当に手を上げなくなった。

なぜ姉がその宣言をするに至ったのか、大人になってからその理由を尋ねたことがある。でも本人は「よく覚えてないけど、もうやめようと思ったんだよね」と言うだけで、いったい何がきっかけだったのか、真相は謎のままだ。

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姉が高校生くらいになると、私たち姉妹はプレーンヨーグルトにハマった。小袋の甘い砂糖が付いていて、みんなで分けて食べるサイズのヨーグルトだ。

きっかけは姉だった。姉は付属の砂糖だけでなく、はちみつや、三温糖を混ぜたきなこをかけたり、それらにスライスしたバナナを加えたりもして、家にあるものでヨーグルトを楽しむ方法をいろいろと見つけ出した。

私たち妹も、姉に勧められるまま、その食べ方をマネしてみた。酸っぱいヨーグルトに甘いトッピングがよく合ってとてもおいしくて、その味わいにすっかりハマってしまった。特にきなこを入れるとヨーグルトの食感が少しザラザラに変化して、それがまたクセになった。このプレーンヨーグルトブームは姉妹の間でしばらく続いたと思う。

私は高1か高2のころ、姉のまねをしてピアスを開けた。姉がピアスを開けた時は母にすごく怒られていたけれど、私は怒られずに済んだ。姉が先に道を作っておいてくれたおかげで怒られない、というのは次女の特権だろう。

通っていた高校は市内の進学校で、周りにピアスを開けている子はまだいなかった。私自身、全く派手でもなければギャル路線でもなかったので、たぶん姉がしていなかったらピアスを開けようなんて思わなかったかもしれない。

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大学時代は私は実家を出たから姉を含め家族とほとんど一緒に過ごしていないけれど、姉には恋愛相談で何度か電話したのを覚えている。恋愛初心者な私の話を姉は親身に聞いてくれて、冷静に的確なアドバイスをくれた。

一度、傷心して泣きながら電話をしたことがあって、そのとき私の話を聞いて姉が憤慨してくれたことが忘れられない。「私がそいつのことぶん殴ってやりたい」と(過激だけど)本気で私のために怒ってくれた姉を、心の中でかっこいいなと思ってしまった。姉はいつだって頼もしい人だった。

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社会人になった姉はヨーグルト専門店のヨーグルトを好んで買うようになっていた。すごくおいしいんだよ、と前から勧められていたヨーグルトを帰省した時に初めて食べてみたら、本当においしかった。値段はケーキと同じくらいするのに、ケーキよりヨーグルトを好んで買うのが姉らしいなと思った。

社会人になってしばらくすると、毎年 姉妹旅行に出かけるようになり、姉が結婚してからもそれは続いた。温泉につかりながら、子供がなかなかできないんだよね、という話を聞いたりもした。数年後には不妊治療が大変だという話を聞くようになった。

去年の夏も姉妹で温泉旅行へ行った。姉のヨーグルト好きは相変わらずで、旅館の朝食に出てきたみずみずしいフルーツ入りのヨーグルトを誰よりもおいしそうに食べていた。

その旅の途中でたまたま訪れた神社で、その神社の由来と共に"子宝にご利益がある"という説明書きがあった。それを静かに読んでから、一人神社に向かってそっと目を閉じて手を合わせる姉の横顔を見ながら、何となくだけど、本当に子供ができるんじゃないかな、と思えた。根拠のない予感みたいなものだ。けど、だから、もちろん口には出さなかった。

姉からうれしい報告があったのは、それから数か月後のことだった。

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そしてついに、最近、姉は無事に元気な赤ちゃんを産んだ。

妊娠が分かってから出産まで、姉は絶えず悩みや不安と向き合っていた。どのタイミングで親に報告しようか、赤ちゃんは無事に大きくなっているか、職場への報告はいつすべきか、今後仕事をどうするか、出産の時にもしもの事態になったりしないか…。検診のときはいつも不安な気持ちを姉妹や家族のLINEに吐き出してから向かい、検診が終わるとほっとした様子ですぐに連絡が来た。

姉は今、実家で父と母のサポートを受けつつ初めての育児を日々頑張っている。仕事は「産休」「育休」で休んでいるけれど、赤ちゃんが生まれた瞬間からもちろん休めてなどいない。本人は2時間ぐらいの細切れの睡眠で「意外と寝れてるよ」なんて言うので、本当に尊敬してしまう。

これから何年も続く育児という大仕事に向き合っていく緊張感や責任感や覚悟から、スイッチが入っているのだろう。全身に、常に仕事の時のようなオーラを薄くまとっている気がした。

痛みに耐えながら母乳をあげるのも、タイミングを見計らってミルクを用意するのも、オムツ交換も、沐浴も、寝かしつけも、自分の都合ではなく言葉を話せない赤ちゃんの都合に合わせて行うから、本当に"対大人の労働"とは比べられない大変さがあると思う。何より、「命を守っていく」という怖さがある。

それでも旦那さんと一緒に笑いながら奮闘したり、持ち前の明るさとおしゃべりは健在で、そんな姉が育てていく子がどんなふうに育っていくのか、とても楽しみだ。

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おなかがすくと真っ赤な顔をして大きな声で泣く姉の赤ちゃんは、今はまだ母乳やミルクしか口にできない。もう少し大きくなったら、少しずついろんなものを食べられるようになるだろう。そして私たち姉妹がたどってきたような、おいしくて楽しい時間をたくさん経験していくはずだ。

姉はもうすぐ実家を出て、旦那さんと住むアパートに赤ちゃんと一緒に戻る。母になった姉の食卓に、ヨーグルトが3つ並ぶ日も近いだろう。

このnoteを書こうと思ってから無性にヨーグルトが食べたくなって、思いつきでフルーツの缶詰を買った。しばらく前から彼がプレーンヨーグルトにはちみつやジャムをかけて食べるのにハマっているので、ヨーグルトは冷蔵庫に常備されている。

よく冷えた缶詰の3種類のフルーツと、その甘いシロップを小さなスプーンで3~4杯ほどプレーンヨーグルトにかける。全体がなめらかになるまで混ぜてから一口食べてみたら、すっきりとした甘さでものすごくおいしかった。(この「シロップ3~4杯」がポイントだと思う。)彼もすっかりこの食べ方を気に入ったので、しばらくフルーツ缶とヨーグルトが欠かせなくなりそうだ。

今度、この食べ方を姉に伝えてみようと思う。「前からやってるよー」と言われてしまいそうな気もするけど、意外とシロップは入れたことがないかもしれない。

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