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父を軍に殺された娘 #2

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1年2ヶ月ぶりだった。家の前で娘のメイ(仮名)さんと祖母のミャ(仮名)さんが待っていてくれた。

もう、2年ほど前になる。メイさんのお父さんはクーデターへの抗議でデモ隊の中にいた。ある日、軍が発泡した銃弾にお父さんは倒れ、そのまま帰らぬ人となった。

以前ここに来たときには、ボランティア団体のメンバーと一緒だった。そのボランティア団体は、軍によって犠牲になった家族へ支援金として毎月いくばくかのお金を遺族に届けていたのだ。しかし、その団体は軍に目をつけられ銀行口座も止められた。活動を止めるしかない。危険を察した団体のメンバーたちは姿を隠し今どこにいるかわからない。今のミャンマーではボランティア活動も困難だ。もし見つかったら逮捕されるのは確実だ。

メイさんはまだ中学生程度の年齢だが、1年以上前と比べるとちょっと大人っぽくなっていた。元々高かった背も、もっと高くなったような気がした。

「学校はどうしてる?」
「わたし、学校に通い始めたんです」

おお、ついに学校に行き始めたんだ。ミャンマーでは2020年に新型コロナのため、丸一年学校が閉まっていた。インターナショナルスクールなどではインターネット授業もやっていたが、一般の公立学校では通信インフラや費用の点でインターネットを使っての授業は難しかったのだ。

次の2021年は、2月にクーデターが起きて学校どころではなくなった。そして、その年の7月から8月にかけては新型コロナの大流行で多くの人たちが死んだ。やっと学校が再開されたのは11月になってからだった。しかし、軍の統制下にある学校には行きたくないということで、ヤンゴンでも学校に戻った生徒はほんの少しだった。

また、かなりの学校の先生がCDMに参加(半数程度と言われている)して学校に来なくなった。CDMとはCivil Disobedience Movementのことで、日本語だと市民的不服従運動だ。公務員が職務放棄することで行政機関を麻痺させ、非暴力で軍事政権を倒そうという運動だ。こうして、2021年もほとんど学校は機能していなかった。

2022年になるとちょっと変わってきた。軍を倒すためといえ、2年以上も子どもたちが教育を受けないのはやはり良いわけはない。それで、学校に戻る生徒が少しずつ増えてきた。また、軍事政権に対する並行政権であるNUGが主導してインターネット上の公立学校が整備された。

NUGは、クーデター前の国会議員たちが中心となって設立した政権で、多くのメンバーは海外に逃げているのでサイバー政権とも言える。このNUGがインターネット上に学校を設立して公教育をするようになったのだ。これで学ぶ子どもたちも多い。それに、サガイン、マグエ、カヤー、チンなどの地方では軍が統治能力を失ったため、住民たちが自主的に軍とは関係のない学校を設立した。

ヤンゴンでは、従来の学校に通う子、NUGのインターネットスクールで勉強する子、少数だがインターナショナルスクールに通う子もいる。ただ、クーデター後はその日の生活にも困る人たちが急増した。そんな家の子は学校どころではない。物売りとして街の中を一日中歩いたり、路上で物乞いをしたりしている。

メイさんの家では祖父が警備員として働き、祖母のミャさんもミシンの内職をしているので、メイさんは何とか従来の学校に通うことができている。彼女に学校の勉強について聞いてみた。

「何の教科が好き?」
「ミャンマー語!! あと英語も」
「嫌いな教科はないの?」
「数学が嫌い・・・」

そういや、1年前に来たときは英語が好きで将来はスチュワーデスになりたいと言っていた。理系は苦手だが、語学系は得意なようだ。将来はスチュワーデスか、もしかして作家になるかもしれない。

お父さんのことも聞いてみようと思ったが、前回と同じく口に出せなかった。ジャーナリストなら絶対に聞かなきゃいけないことなのだが、私は単なるミャンマー好きのおっさんだ。彼女の伏し目がちな様子に躊躇してしまった。

話題を変えた。毎日何をやっているのか聞いてみた。すると、祖母のミャさんが口を挟んできた。

「この子は、毎日スマホを見ながらKポップの歌や踊りをやっているの」
「えっ、踊りながら歌う?」
「そう、わたし BLACKPINK が大好き」

どうも、私は彼女のことを「お父さんを殺されたかわいそうな少女」という固定観念でずっと見ていたようだ。しかし、当たり前だが人は悲しみだけでは生きていけない。彼女は音楽を楽しみ勉強にも励む人間に成長していた。

次に会うときにはお父さんのことも聞けそうだ。

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