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誰も祝わないティンジャン

ミャンマーでもタイのソンクラーンと同じように4月の中旬に水をかけ合う祭りがある。ティンジャン(ダジャン)と呼ばれ、今年は4月13日から16日がその期間だった。ティンジャンが終わると新年になる。しかし、一昨年はコロナで去年はクーデターだ。ティンジャンで水をかけ合う姿を見ることはなかった。

今年は、軍は一部で水かけやステージを開こうとしていた。ヤンゴンのダウンタウンの中心に市庁舎があり、そこに軍が祭りのためのマンダ(ステージ)を設置したのだ。しかし、軍の支配を認めない国民は今年もティンジャンを拒否していた。この市庁舎のマンダは多くの国民から非難を浴びていたのだ。

憤怒の表情

ティンジャン2日目の4月14日だった。昼過ぎの一番熱い時間、40度近いヤンゴンのダウンタウンを歩いた。いつものティンジャンならそこらじゅうで子どもたちが水をかけ合っているのに、子どもたちの姿はない。いつもなら、ティンジャンソングが一日中鳴り響いているのに、どこからも聞こえてこない。いつもなら、街中に設置されたマンダで水をかけてもらっている若者たちが大勢いるのに、マンダも若者の姿もない。

ダウンタウンで最もにぎやかなマハーバンドゥーラ通りに出た。いつもの2割くらいの人通りだろうか。市庁舎がある東へと向かった。前の方からドッドッドッドッというEDMのダンスミュージックが流れてきた。道路を挟んだ左前方に急ごしらえの小さなマンダがあり、そこから流れてきた音だった。マンダの前では若い男が二人で踊っていた。酔っ払っているのか、足元がおぼつかない。その脇には銃を構えた兵士の姿があった。

道路を挟んだこちら側ではインド系の男たち数人がマンダの方向を睨みつけていた。その表情は尋常でなかった、憤怒の表情だ。私には彼らの心情が理解できた。インド系のイスラム教徒はミャンマー軍から特に残酷な目に遭っているからだ。そうしたことを知ってか知らずか上半身はだかの男二人は踊り続けていた。

たどり着けなかった市庁舎

その先は道路いっぱいに車止めが置かれていた。車は通行止めだったが歩道はそのまま歩いていけるのでスーレーパゴダの前まで来た。パゴダの向こう側はマンダが設置された市庁舎があり、音楽が聞こえてきた。ここからはよく見えないが、水かけをやっているようだ。

パゴダは交差点の真ん中にあり、道路はパゴダをぐるりと回るラウンドアバウトになっている。私もぐるりと回って市庁舎側へ行こうとしたが、「だめだ!」という声がかかった。警察官だった。これ以上先には人も行けないのだ。有無を言わさない声におとなしく引き下がるしかなかった。

今度は市庁舎の裏から行こうと思い、大回りして北側の裏道から市庁舎方向に向かった。しかし、ここも車止めがあり人も通行止めだった。警察官の制服を来たかなりの年配の男が銃を構えていたので声をかけた。
「向こう側に行けないんですか?」
「ここから先は誰も通すなと言われている。私もここに呼ばれたばかりでよくわからないんだ」

思っていたよりも丁寧な応対だ。退役軍人が呼び戻されているという報道もあるので、彼もそうした人の一人なのかもしれない。

結局、マンダまでたどり着けなかった。理由は簡単で、私が西側から行こうとしたからだ。東側から市庁舎に向かったら検問所がありそこでチェックを受けた後にマンダ前に行くことができたらしい。

今年のティンジャンで軍がマンダを設置した理由は、街が平常に戻ったということを内外に示したかったからだ。国営テレビであるMRTVでもその姿を放送していた。そのために一人10,000チャット(約630円)で人集めをしているという噂もある。また、ある地区では1家族から1名以上の参加を強制したという報道もあった。拒否した場合は5,000チャット(約310円)の罰金だという。この報道のあった地区は貧しい人が多い地区なので5,000チャットでも大金だ。

こうして誰も祝わないティンジャンが終わり、新年がやってきた。


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