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琴線に触れたnote集

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何度でも読みたくなる。 出会えたことに心から感謝したい、素敵なnote集。
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#日記

人生という旅路で交わる者たち

2021年の夏から通っていたESL(英語を学ぶクラス)を卒業した。といっても、8月〜翌年5月で1タ…

Mica
2か月前
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あの子の痛みを、君が決めてはいけない

「痛いかどうかは、された側が感じるんよ」 最近、長男によくかける台詞だ。以前もnoteに書い…

Mica
1年前
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「生きてて一番楽しかったことって何?」 と息子に聞かれた帰り道

「かーちゃん、生きてて一番楽しかったことって何?」 幼稚園バスから降りてきた6歳長男ちの…

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むき出しのこころで越冬するため、巣作りをしたこと

つめたい風が足首を撫でる。きんと硬い空気は、服の隙間から表出する肌を容赦なく刺す。まもな…

伊藤チタ
1年前
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ポケットティッシュとハグ

くすん、くすんと、すすり泣くような音が聞こえて、それがクラスメイトの声だと気付いたのはし…

Mica
1年前
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人生ハードモードでもここまで生き抜いたんだから、殺されてなんかやるもんか。

「その条件だったら、申請は通ると思いますよ」と、障害年金サポートセンターのスタッフさんは…

伊藤チタ
1年前
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今しか書けない文章がつなぐ未来

あの日、あの時しか書けない文章があると思っている。同じ出来事でも、当日に書くのと一ヶ月後に書くのでは湧き上がる言葉が違う。瞬発性が生む躍動感、熟成が生む奥行き、どちらが優れているわけでもない。 書きたいときに書くのが一番いいのだろう。そのときを逃せば、二度と生まれないかもしれない。 3年半ぶりに実家へ帰ってきた。そこでほぼ確信を持ったのだ。私はしばらく家族についてエッセイは書けないと。身近な人について文章にするときは、つくづく距離感が必要だと感じた。 たとえ長年一緒にい

母の恩師|聴こえない母に訊きにいく|五十嵐 大

 母の母校である宮城県立聴覚支援学校を訪ねたことで、母が慕っていた大沼直紀先生との接点が…

TOEIC915点をとって私が得たものは、点数じゃなかった

しばらく、これを書こうか書くまいか、迷っていた。 私はマウンティングのようなものが大嫌い…

Sae
4年前
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挑戦と傷、そして継続

長男がバスケットを習い始めた。アメリカの独立プロリーグにも参戦したという日本人女性が運営…

Mica
1年前
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最果タヒ展で私が読んだもの

仙台パルコで開催された最果タヒ展に行った。 自分が立ち止まる場所によって、その瞬間によっ…

翠 はるか
2年前
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夕方5時の幸福論

今年になって、はじめて暖房を手放した。電気をつけていない灰色の部屋に積もる空気は少し冷た…

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人生を切り取る、楽しさと怖さ

前回のnoteみたいに、子どもとの日々について書くと、しばらく気持ちがグラグラする。揺さぶり…

Mica
2年前
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孤独を憂うのに一人になりたいなんて

「俺の奥さんは、さみしい病なんだよね」と言ったときの先生は、困ったような顔をしながらどこか誇らしげだった。その表情が意味するものを、私は大人になった今でも読み解こうとしない。 先生は、私が高校2年生のときに赴任した美術教師。学校行事の関係で仲良くなり、卒業してからもよく仲間たちと囲んだ。 私たちの在学中に結婚した先生の奥さんは、とても綺麗な人だった。北欧かどこかの血が混ざっている中谷美紀似の美人。別の学校に勤務する養護教諭で、気取らない雰囲気なのに優しかった。つまりは非の