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鯨とわたし②

第1話はこちらからどうぞ。

私の問いに、父はすぐには答えなかった。見せる決意をしたものの、全てを明かしていいものか。そんな心持ちが手に取るように伝わってくる。

『ちゃんと話して。このままじゃ、わけが分からなくて頭が変になりそう。』

畳み掛けるようにそう言った私に、父は覚悟を決めたような顔で頷いた。

『分かった、話そう。元々そのつもりだった。もう少し歩いた先に、父さんが建てた小屋がある。そこに着いたら、ちゃんと話をしよう。』


父さんは、この世界に小屋を建てていた。ということは、随分昔から此処の存在を知っていたことになる。いつからなのだろう。いつから父は此処を知り、此処を訪れていたのだろう。母さんが生きていた頃だろうか。それとも、もっと後だろうか。


私には母が居ない。正確に言うと、母は私の命と引き換えにこの世を去った。子を産むということは、命がけだ。特別身体が弱いわけでもなかったのに、母は分娩室に入って私を産んだ後、呆気なく死んだ。何らかの理由で出血が止まらなかったらしい。

物心つく前から、幾度となく同じことを言われて育った。

『命がけで産んでくれたんだから、立派に生きなくちゃね。』

『お母さんに感謝しなきゃね。』

親戚の叔母さん、叔父さん、従兄弟たちまでもが、バカみたいに同じ台詞を繰り返す。そしてそういう時の相手の顔には、「可哀想に」という表情が滲み出ている。何故かちょっと気持ち良さそうなその顔を見る度に、私の奥の方で何かが暴れていた。


確かに、母さんは死んだ。でも、命がけで産んでくれているのはどの母親だって同じはずだ。長い期間お腹の中で育てて、叫ぶほどに痛い思いをして産む。陰部を麻酔なしで切開しても、その痛みすら感じないほどの強烈な痛み。それを経て産まれてくるのが、新しい命だ。

私もそうして息子をこの世に産んだ。愛しい息子はもうすぐ二歳になる。今頃は保育園で給食を食べている頃だろう。


母親が死んだ時だけが命がけで、感謝をするのも死んだから、だなんて。あまりにもバカげている。産む瞬間はみな命がけだ。そして、母親に感謝するかどうかを決めるのは本人だ。周りの人間じゃない。

私は感謝している。心底、感謝している。産んでくれた。だからこうして生きている。妊娠中につけてくれていた日記には、胎児だった頃の私の写真と共に、たくさんの愛情が綴られていた。

[早くあなたに会いたいよ]

この一文が、何度も何度も出てきた。どんなに短い間だったとしても、私はちゃんと愛されていた。


バカげた台詞を私に言ってこなかった身内は、父だけだった。父だけが、いつも私の一番欲しい言葉をくれた。


『お前はお前の好きなように、自分の命を生きなさい。』

幸せになれとも、母のぶんまで生きろとも言わない。私という人間の命が存在することを母の死を抜きにして認めてくれていたのは、今も昔も唯一人、父だけだった。


ざりざりと固い砂浜を歩き続けること数分。父が言った小屋が遠目に見えてきた。こじんまりとした木製の小屋。

『あの小屋?』

『そうだ。』

短く答えて歩き続ける父の背中は、昔より随分丸くなった。息子が『じぃじ』と話しかける度にくしゃっと笑うその皺も、日に日に深くなっている。

父の老いは、何となく私を寂しい気持ちにさせた。唯一の味方。唯一の親。そんな父に途方もない秘密が隠されているのかもしれない。


私の知らない父がいる。そんな当たり前のことが、酷く胸を締め付けた。


to be continued……



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はる

書くことは呼吸をすることに似ている。 毎日更新継続中。エッセイは育児関連が多め、小説はフィクションとノンフィクションの融合。原体験が軸。 「サバイバーからの伝言」マガジンで自身の経験を元に虐待抑止の発信を執筆中。*プロフ参照 《ブログ》https://harunomama.com

鯨とわたし

『此処は何処で、この世界はなんなの?』 ある日父に連れられて辿り着いた場所には、異質な海があった。 波瑠(はる)の心に浮かぶ様々な原風景。 この海の正体は何なのか。 連載小説。 *更新目安は週一程度の不定期更新となります。
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コメント8件

ゆいさん、ありがとうございます🍀
私も、言われたことがなくて。だから自分は、それを子どもたちに伝えられる大人になりたいです。
親以外の大人から言われたとしても、きっと胸には残るから。

どんな物語になるのかまだ分からないけど、読み続けてもらえたらとても幸せです✴
洋介さん、ありがとうございます🍀
そうだったんですね!すごい偶然✨(*´∇`*)
ドストエフスキー、独特の文体に早くもやられています。良い意味で。笑

リズムがあると言って頂けて、とても嬉しいです!
いつも読んでくださり、ありがとうです✴
一伽さん、ありがとうございます🍀
待っていてもらえるって、とても嬉しいです!(*´ー`*)

どんな物語になるのか分からないけれど、心を込めて紡いでいこうと思います。

人は自分の生を全うすればいい。
誰かのためとか、誰かのぶんとか、それは立派なことだけど、自分自身の幸せを追い求めて生きることをもっと肯定してあげたいな……と。
そう思いながら書いています。
Kojiさん、ありがとうございます🍀
ドラマとかでもよく聞く台詞だけど、ずっと私はそれに違和感があって。
親が死んだら、その親の命まで背負わなきゃいけないの?兄弟が死んだら、その子のやりたかったことまで背負わなきゃだめ?って。

人が背負えるのは、自分自身の命だけだと思うのです。優しそうに見える言葉で人を追い詰めるのは、やめて欲しい。
人それぞれだろうけど、私はそう思ってしまいます。

続きを楽しみにしてくれてありがとう。書く力をもらえます✴
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