版画展開催記念 「“文学少女”番外SS~ぼくと“文学少女”な奥さんの食卓事情」

  朝の光に香る菫の花のような笑顔で、彼女は「誓います」と答えた。
「では、誓いの口づけを」
  甘い唇が重なって、みんなのひやかしの声や祝福の拍手の中、“文学少女”な先輩で編集者で恋人な彼女は、井上遠子【いのうえ とおこ】になりぼくの奥さんになった。

 そんなこんなで半年。
 春。

《ぼくらの食卓 其の一》

「心葉【このは】くん、今日は鰆【さわら】の木の芽【このめ】味噌焼きと、あさりと菜の花の茶碗蒸しよ。お吸い物はわらびにしてみたの。四季の歌と恋の歌をたっぷりつめこんだ『古今和歌集』みたいに、優雅で繊細な春の歌ならぬ春の食材シリーズよ」

 どうぞめしあがれと、綺麗に並べられた夕飯の向こうから、清楚な瞳をきらきらさせて見つめてくる。校了明けの遠子さんは、それまで家事をサボっていた分を挽回しようとするように、気合いを入れて料理を作る。

 遠子さん自身は本のページや紙に書かれた文字を食べて生きている妖怪――いや、ちょっと変わった体質の人で、普段ぼくらが食べている料理は、ぼくらが紙を食べるのと同じように味がしないという。なのにぼくのために一生懸命ごはんを作ってくれるのは、やっぱり嬉しい。

 初めて遠子さんの手作りのシュークリームを食べたのは、ぼくらが高校生のときだ。遠子さんは塩と砂糖を間違えて、できあがったシュークリームは生涯忘れられない破滅的な味わいだった。
 結婚してからの遠子さんはみるみる腕を上げ、旬の食材を使って美味しい料理を作ってくれる。
「わたしは心葉【このは】くんの奥さんになったんだから、このくらい当然よ。目指せ、仕事と家庭の両立、愛されスーパー妻よ、えへん」
  なんて高校時代と変わらない薄い胸をそらす。

  ただ――。

「……遠子さん、茶わん蒸しが、辛いんだけど」

 一口目は説明通りの繊細で優しい味わいだった。けれど時間差で喉の奥が焼けるように熱くなり、舌がびりびりと震える。

「この辛さは唐辛子? いや、わさび?」
「さすが心葉くん。唐辛子とわさびをブレンドしてみたの。おだやかな春の野に吹き荒れる嵐を表現してみたのよ」

 両方入ってた!
 しかも春の嵐って!

「お料理の隠し味は、いわば行間よ。心葉くんなら、この絶妙にして微妙な隠し味を読みとってくれると思っていたわ」
「全然隠れてないから! 辛すぎて『古今和歌集』春の歌じゃなくて、横溝正史『犬神家の一族』みたいになってるから! 生首の菊人形に、水面から足がにょっきりだよ」
「やだ怖い。でも和風な辛みがガツンときいて、息つくまもなく食べ続けてしまう感じが美味しそう! 怪我の功名ね」

 決めた、今度『犬神家の一族』風味の茶わん蒸しを書いて遠子さんに食べさせてやる。そうすれば、どんなに破壊的なミスマッチか伝わるだろう。
 うん、この原稿の締め切りが終わったら絶対書く。

 遠子さんは、たまにこんなふうに“隠し味”をレシピに加えたがる。
 こうしてみたらもっと美味しくなるんじゃないかしら? ここを変えてみたら新しい味に出会えるんじゃないかしら? と思案してしまうのは編集者としての遠子さんのサガなのだろう。
 
 けど、編集者としては優秀で、的確なアドバイスができても、味のわからない食材を想像だけで理解しきれるものじゃない。いきなり茶碗蒸しに足がにょっきり生えてきて口の中がえらいことになっているぼくの身にもなってほしい。

 遠子さんは自分の晩ごはんである『伊勢物語』のページを小さく千切って、美味しそうにかさこそ、もぐもぐ食べている。今日はちらし寿司の気分なのだそうだ。

「ああ、薄く切った鯛や季節の菜の花にときめくわ。業平は本当に女の子のツボをついてきて美味しいの」

 うっとりする遠子さんにぼくはあらためて、足が十本くらいにょきにょき生えた茶わん蒸しを書いてやろうと硬く決意する。

 でもまぁ、たまに遠子さんがやらかすけれど、ぼくらの食卓は新婚らしく、おおむね平和で幸福だった。

《ぼくらの食卓 其の二》

 この一件から数日後。

 連載用の原稿が難航し、ぼくはまだ『犬神家の一族』風味な茶わん蒸しの作成にとりかかれずにいる。遠子さんは仕事が暇な時期で、せっせと部屋の掃除をしたり、ぼくにお茶をいれてくれたり、簡単につまめる食事を作ってくれたりと、本人曰く“デキる愛され妻”らしく務めていた。

「がんばって、心葉くん。金曜日の叶子【かなこ】おばさんの受賞記念パーティーには間に合わせてね。心葉くんはスピーチを頼まれているんだから」

 叶子おばさん―と遠子さんがかぎりない親愛を込めて呼んでいるその人は日本を代表する女流作家で、このたび海外の権威ある文学賞を受賞した。しかも海外での受賞は今回が二度目で、すでに世界枠の作家と言っても過言でない。
 都内のホテルで開催されるパーティーには、ぼくと遠子さんの二人でお祝いに駆けつける予定で、それまでにこの原稿を終わらせたくて、じれじれしていた。

「大丈夫、心葉くんは“文学少女”のわたしが選んだ、世界一の作家なんだから」

 と照れくさいことを言ってくれたりして、結婚して良かったなぁなんて思ったりしていた。
 そんな中、パーティーの前日、仕事から帰宅した遠子さんが興奮に目をうるませて書斎に飛び込んできた。

「心葉くん、わたし……わたし、死んじゃうかも」
「え!」

「心臓がバクバクして、頭がカァァァッと熱くなって、わーっと叫びたくて、涙が滝のようにこぼれそうなの! 背中に羽が生えて大気圏の彼方まで舞い上がりそうなのよっ!」

「落ち着いて遠子さん。一体なにがあったんだい」

 遠子さんは細い肩でハァハァと息をしながら、頬をぽーっと染めてぼくを見上げ、とろけそうな声で言った。

「叶子おばさんに、ごちそうをいただいたの!」

 よくよく見れば遠子さんは手に分厚い茶封筒を抱えている。それに頬ずりしながら、

「『青よりいずる紫は』の初稿よ!」

 と、さらに声をはずませた。ぼくも目を見張る。

「『青紫』の初稿だって!」

 受賞作じゃないか。

 総ページ一三〇〇越えの前後編からなる大作。現代の日本を舞台にしながら神話のごとき荘厳さを感じさせると世界で絶賛の。

「全部で五束もあるの! 今日仕事場に届いたのよ。カートを借りてひとつ残らずお持ち帰りしちゃった。だって普段は初稿からPCで原稿を書いている叶子おばさんが、わたしのために初稿を手書きしてくれたなんてこんな嬉しい贈り物ってないわ」

「叶子おばさんは電話で『気分を変えたかっただけよ、完成稿はPCで保管しているし出版済みなので、持っていてもかさばって邪魔になるだけだし。残さず処分してちょうだい』なんて素っ気なく言っていたけれど、わたしへの結婚祝いのつもりだったんじゃないかと思うの」

「ほら、本当は一冊で終わらせるつもりだったのが前後編になって出版が半年も遅れちゃったでしょう? 半年前に叶子おばさんから結婚祝いにドイツ製のお鍋のセットをいただいたとき、なんだか無念そうで機嫌が悪かったし」

 叶子さんは大抵ああいう冷え冷えした顔つきと態度だと思うのだけど、叶子さんが大好きな遠子さんには微妙な違いがわかるのかもしれない。
 なににせよ、櫻井叶子のあらたな代表作である『青紫』の手書きの初稿なんてオークションにでも出品しようものならどれだけの値がつくかわからないお宝で、直筆原稿に目のない遠子先輩にとっては究極のごちそうに違いない。

「食べるのがもったいないけれど、食べたくてたまらないの。ああ、やっぱりしばらく眺めていて、ううん、明日のパーティーで叶子おばさんに会ったときにお礼と一緒にお味の感想を言いたいし、やっぱりちょっとだけ、そうちょっとだけいただいてもいいかしら。でも、口にしたとたん、美味しすぎて幸せすぎて胸がつまって息ができずに倒れてしまうかも。心葉くん、そうしたら白雪姫の王子様みたいにキスで目覚めさせてね」

「……ああ、うん。ぼくは原稿をするから。夕飯も自分で適当に食べるよ」

「ありがとう、心葉くん! なんて理解のある旦那様なの!」

 遠子さんは感激して出ていったけれど、あんなに浮かれていたら塩と洗濯洗剤を間違えかねないから。

 そして叶子さんの受賞パーティーの当日。

「本当にすみません!」

 ぼくはホテルの広間で、叶子さんに平謝りしていた。

「本人は這ってでも行くと主張したんですけど、おめでたい席でウイルスをバラまいたら迷惑だからってぼくが止めたんです」
「……はしかなら仕方がないわね。あの子もはしかにかかるのね」
 叶子さんは素っ気なくつぶやいた。本心では遠子さんに来てほしかったことがぼくでも感じられて、胸がきりきり痛んだ。

 あああああ、ごめんなさい。
 はしかなんて大嘘です。

 よろよろしていて、とても外出できそうにない状態なのは真実だけど。

 昨日、叶子さんから大量の手書きの初稿原稿をもらった遠子さんは、食べ過ぎでおなかを壊してしまったのだ。

 ちょっとずついただくわ、なんて言ってたくせに、よほど美味しかったのだろう。もうちょっと、あとちょっとと、ピリピリ、しゃくしゃくと、破いては食べ破いては食べ……と一晩延々続けていたらしい。

 胸がいっぱいどころか、はち切れそうなおなかを抱えて、うんうん唸っている遠子さんを発見して仰天した。

 今は――あきれている。

 遠子さん一人残してくるのは気が引けたが、お祝いのスピーチがあるので仕方がない。
 これに懲りて遠子さんの食い意地がおさまるといいのだけどと期待しながら、そんな日は一生こないだろうなぁと、こっそり肩を落としたのだった。

《ぼくらの食卓 其の三》

 しばらく口当たりの優しい童謡詩歌などを、おかゆがわりにしゃりしゃりしていた遠子さんがようやく復活し、
「心葉くんに送られてきた××先生の献本、もう読んだ? 食べてもいい?」
 などとおねだりをはじめたころ―。

 ダイニングテーブルで書き物をしている遠子さんを見た。

 仕事しているのかな……?

 そっとのぞいてみると、国語辞書をかたわらに置き、五十枚綴りの原稿用紙にHBの鉛筆でなにやら書いている。

 赤ペンじゃなくて、鉛筆で?
 ということは仕事じゃないのか?

 手紙……は便せんに書くだろうし、メモ……はメモ帳かPCを使うだろうし。
 遠子さんはときおりふむふむと考え込みながら、えらくおだやかな表情で文字を綴っている。

「なにを書いてるの?」
「やだ、いたの? 心葉くん」

 少し赤くなったあと、また優しい顔になり、
「“ごはん”を書いていたの。とりあえず辞書から三つ単語を選んで、それを組み込んで」
 と答えた。

 三題噺だ。

 二人きりの文芸部で活動していたころ、遠子さんの“おやつ”の三題噺を書くのがぼくの日課だった。
「遠子さん、自炊するんだ……」
 知らなかった。
 わたしは読み手で、書き手じゃないから、自分で書いた文章は味気がないとか言ってなかったっけ。

 遠子さんは菫の花のようにしとやかに笑った。
「わたしが生まれてはじめて口にしたのは、お母さんが書いてくれた物語だったの。とても優しくて、甘い味がして、思い出すだけで胸がぬくもるの。お母さんはプロの作家ではなかったし、叶子おばさんのような至高の逸品、みたいなお料理は作れなかったけれど、わたしのために心のこもったあたたかいごはんを作ってくれたのよ。だからわたしも、名文でなくてもいいから、小さいうちはそういうごはんを食べさせてあげたいなぁって」

 え? えええええ!
 それってもしかして!

 視線が自然と遠子さんのおなかのあたりにいってしまう。

 そうなのか? 予定はいつ?

 遠子さんはにこにこしている。
 もし、ぼくの予想が正解ならこんなに嬉しいことはない。それこそ大気圏外までジャンプしそうだ。
 けど、そのために遠子さんが“ごはん”を書いているとしたら、遠子さんがまたうっかり行間にすっとんきょうな味を仕込まないよう、あとでこっそり添削しよう……。

 そんなことを考えながら、ぼくは口を開いた。
 “文学少女”な奥さんから、息が止まりそうに幸せな報告を聞くために。


 ※画像その他、ファミ通文庫さんのご許可をいただいております。ありがとうございます🙇‍♀️

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ありがとうございます😊 私も大好きです!
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野村美月

コメント10件

大好きな人達の日常が読めてとても幸せです!
完結から随分たって、自分の中で二人の存在が、年上から年下になっていました。けれど、こうして最終巻の続きとして、幸せな夫婦になった二人を見ることができて、また私の憧れに舞い戻ってきた気持ちです!本当にありがとうございます。
本棚に大切に保管しているシリーズをまた読み返して、先生の『至高の逸品』なお話を楽しみたいと思います。
僕も中国のファンです。日本語は下手ですすみません
最初は絶対泣くないという言葉が言いたかったけれども、シュークリームの思いシーンがみたら、涙が全然止まらない。
野村先生、ありがとうございます。
とても幸せな気持ちになれました。ありがとうございます
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