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東京にあるもの僕にないもの

「アドバイスなんかないよ。そのままやっていけよ。」って、言っていた。今西太一さんが言ってくれた。

もう50歳を過ぎた大先輩で、だけど僕は、1つの弾き語りという音楽の形の完成形を観たような気持ちになって声を出してはしゃいでいた。

その太一さんにアドバイスをくださいなんでバカげたことを聞いたら、一発で恋に落ちるような答えが返ってきて胸がずごーーーーーーーーーんとなった。ほんと、ぐぉああああああああああってなったとしか言えない。


たくさん質問をした。どうやったらフジロックに出られるのか。どんな生活をしているのか。どうやって音楽と生きていくのか。そうして結局僕が思ったのは、僕自身の答えは、妥協しなかった僕だけがもつことができるのかもしれないということです。

やっている音楽も好きな音楽も、何を求めてライブハウスやライブバーに足を運んで来ているのかも、歩んできた道も行く道もが、ミュージシャンもお客さんもすべて人それぞれ。僕の音楽は、ステージは、とてももろかった。そういう2日間だった。そう思っていいと思う。


だけど、それが今の僕でしかないから、憧れのあの人ならきっと掴めたであろう人の心が掴めなかった僕を、ときどき誰かのせいにしながら、でもやっぱりそんなこと言っても意味がないよ、その心の奥に響かなかった音楽を僕はもっと磨くしかないと思った。

例えば今から10分後にメジャーレーベルから急に電話がかかってきて、さっきのライブすごくよかったよ、契約してくれと言われて、僕は本当に心から喜べるほどやってきているのかって、やってない。だから、きっと喜べないと思う。ラッキーって思って1年もたずに終わるよ、例えば。


守るべき家族は守りたい。お金も稼ぐ。それといい音楽をやることは関係がないよ。練習時間の有無や長さ、出会うお客さんやミュージシャンの数は関係ないよ。

全部それらすべての「1」の深さだけ。1分、1人、一音、一回。全然だろ、おまえはって言われた。ような気がする。



長くかかるのかもしれないなって思った。僕の音楽がもっとずっとたくさんの人に広がるまでに。僕がそういう僕に満足するまでに。


出会ってくれた方たちは、誰もがよくしてくれました。僕はしっかりしろよ、自分って思った。ライブは今の僕をやりきったけど。


次は京都nano。来週の木曜日で、6月20日。5日後です。ここに言葉にできなかったものも含めて、取りこぼさずnanoのステージで歌う。

読んでくれてありがとうございました。
また東京は行きます。近いうちに。









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