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私らしく生きるために、ゆるりと挑戦してみます。

三連休最終日も目覚めたのは朝5:30。
二度寝を試みるもどうしても寝付けなかった。さっきまで勉強をしていたのだが、何だか終わりのない世界に嫌気がさしてきたので、色々な心の整理を兼ねてnoteを書こうと思う。

当たり前なんてものはない。

そう感じたこの3日間。
やはり自然の威力は恐ろしくて、私の想像を遥か彼方まで超えていき、大きな被害になっている。

奇しくも最近、私の周りでは、毎日を必死に生きている人が何人かいる。

生きたい。
その思いで病気と向き合っており、私自身には何もできないことが苦しくなりつつも、そんな近くで生きる私はどう生きたらいいのだろうか?と思うことがしばしばある。
私自身も時に自分の身体と向き合わざるを得ないこともあるので、ある意味普通に生きることってこんなに難しいのかとも思う。

そんな私は「(色々な出来事を通じて培われた価値観で)私は私なりの考えがある」と思う節があり、時に強く出てくる。
そして、それは私なりの理想へのステップであることが多い。

もちろん私の周りにいる人のなかにはみんながみんなそうではなく、
私の姿を見て、すごいなぁという人、もっと肩の力を抜いたら?とアドバイスをくれる人など、色々な形で向き合ってくれる人がいる。
ありがたいことに何人も。

でも、やっぱり譲れないときは譲れない。
そんな時にこの台風がやってきた。

土曜日の夜はいつの間にか寝ており、気づいたら朝になっていた。
東京は8月といっては過言でないくらいの晴れ。まさに台風一過。

一方でテレビをつけたら、信じられない光景が広がっており、実家の父からは「外へ一歩出たら、停電が起きている」との話。
震災の時もそうだったけれど、見知ったところ・身近なところでの被害には改めて自然の恐ろしさを感じつつ、これが同じ日本かと何だか不思議な気持ちになった。

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気づけば「今年も残り、3ヶ月」といっていた10月も半分が過ぎようというところ。
もう半分なのか、まだ半分なのか、色々な解釈ができる。
私にとっては「もう半分、しかも残り2ヶ月半で2019年も終わってしまう」という感覚。
先ほどもいった通り、自分自身の想いが強いがゆえにそう感じてしまうのだろう。

それでも、こうやって台風でも直接的な被害がなく、昨日のラグビーへもTV越しで一人燃え、今朝も普通に起きることができている私。
これが当たり前だと思うからこそ、何だか当たり前になってしまっている日常を「変わらない日常」として、理想を掲げながらも変わっていないことに苦しさを覚えてしまう。
「時には流されよう」と先輩から言われた言葉が身に沁みる。

ここで違和感を覚えるのが、私の中にも矛盾が存在しているということ。

普段忘れ去れているものでも、ふとよく目にすると「素敵だな」と思う、残しておくべき価値観やコトを大切にしたいと思う私。
一方でどこかまだ見ぬ世界に向けて、今日よりも明日、明日よりも明後日と変わっていなければならないと思う私。

人間、細胞なんて毎日入れ替わっているのだから、変わっていないなんてことはないという話も聞いたことがあるが、果たしてどちらが私なのか?と。

色々考えてみるなかで、今日よりも明日、明日よりも明後日…と何だか私自身にハードルを作り、それを無理にでも越えようとしている私がいることに気づく。

ハードルを超えた先に何が待っているのだろうか。

「何のための理想なのか?」と問われると結局は誰かと比較をしている私が、「あのようになったら幸せに生きることができる」と思っての理想なのだということのようだ。自分で納得してしまう。

改めてこういう有事でないと気づけない私自身の脆さに反省しつつも、残りの2ヶ月と半月は少し「なければならない」と掲げる自分の理想から少し離れたスタンスを取ってみようと思う。
もちろん理想を掲げないというと逆に苦しくなると思うので、むしろそのハードルを意識しなかったら◎ことにしてみることにする。

今もあらゆるところで色々な想いを持って過ごしている方がいるからこそ、私にできることを精いっぱいに。
たくさんの人に支えられているのだからこそ、私らしく生きるために、ゆるりと挑戦をしてみようと思います。

ありがとうございます。今の私はたくさんの人生の先輩方にお世話になったからこそだと感じています。いただいたサポートでは、後輩が迷った時に話を聞く際のカフェ代に恩送りさせていただきます。