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未来への一歩は「知ってしまった」から

「忙しそうですね、色々やっていてよく疲れないですね」
よく言われる言葉。

もっと忙しい人は世の中にたくさんいると思うし、個人的には楽しい毎日であるから嫌な疲労ではない。
もちろん体力的に厳しい時には休むし、自分を癒す時間も必要で、自然の中に入っていったり、自然のモノに触れたりしないと私が私のような感覚でなくなってしまうことも自覚している。

いつからこのようなことを言われるようになったのかは定かでないが、正直、大学生の時に思い描いていた27歳の私の姿とは全く異なる。
別に後悔がないかと問われると分からないが、今となってはこの先のことはあまり考えないようにしている。

最近では「使命感に駆られているように見える。もっと楽に生きようよ」とも言われた。

確かにそうかもしれないが、何かを知ると「知ってしまった」という気持ちから「(広がった世界で)何かしたい!」と変化する私がいるのだ。

そう、昨年聞いたある言葉に納得させられたことを思い出す。

「知ってしまたことで、ショックなこともあるかもしれないけれど、知らずに過ごして後悔するより、知ってできることから行動すれば変わる未来があると思うの」

社内で受けた「食」の勉強会での一コマだった。

「食べたモノで身体はつくられる」と信じている私からすると、半年間勉強する中で知ってしまったことでショックを受けることが多かった。

・遺伝子組み換えの真実
・まだまだ食べられるのに捨てられてしまうフードロスの問題
・食習慣の変化に伴って変わってしまった私たちの味覚の問題
・野生の猪や羊などとの共存の問題

正直問題が大きすぎて私がアクションを変えたとしても、社会が変わることなんて到底ないと思った。それは一緒に勉強していた20人のメンバーも同じ。
しかしその20人から今やその輪が広がって、少しずつうねりが起き始めているように思う。

別にこれは「食」に限ったことではない。

かくいう私はまだまだ世間知らずで最近は「不勉強で申し訳ありません」が常套句になってしまっているが、それでも新たなことを知ると、これまで知らなかった世界が広がっていて、中にはそれを変えたり・進化させようと必死で活動されている人がいて。

ふと、何だか共感をし、時にはそこから一緒に活動をしていることが多いような気がしている。

「意識高いですね」と言われても仕方ないけれど、一人ひとりが存在することで組織や団体、はたまた社会は成り立っているはずなのに、いつの間にか偉いとされる人が先頭に立って引っ張っていく、大半はそれについていく人…という構図になっているような感覚があって。

そして、その引っ張っていく人が少し間違ったことをすると、これまでついていっていたはずの人が一気に掌を返した形で、一気に墜落させられてしまう。
引っ張っていく人だって、疲れる時はあるし、負担など何か大きいものを抱えているような気がするのは私だけだろうか。

先日私が書いたように、ついていく側は考えなくていいし、とても楽であることは間違いない。

それでも自分が思った方向でないと不満につながるし、結果してその人の心が健康かどうかはわからない。
(私はまさにその典型例。モヤモヤを抱えて、心は健康でない状態だったように思う)

一気にネットも広がって、今や簡単に発信をすることができる。
私だって、その恩恵にあやかっているひとりである。
社会を作る構図は少しずつ崩れてきたものの、世の中をつくるモノが本質的なモノかどうかはきちんと判断をしていかねばならないと思う。
(インスタ映えを求めて商品を購入しても、食べずにすぐ棄ててしまうという話を聞き、フードロスを自ら作ることができる世の中になってしまったことに驚いた)

赤信号では止まれ・踏切の前では一旦止まって左右を確認する…
小さい時に常識として習った普遍的なこと。
世の中には普遍的な常識もあれば、今の社会をつくる日々変化する常識もある。
その常識をつくっていくのはその時に生きる人々だと思うけど、その人たちが何をどう勉強してきたかで世の中自体もつくられてしまう。
私自身もそうだけど、あって当たり前の世の中で考えなくても生きることができると、過去から学んだり、根源を追求したりしていない。
もっと人口が減っていくこれからの社会では、確実に動ける人が少なくなる中で、誰が何をどう考えるか?が必要になりそうだなと思うと、改めて知っておくべきことはたくさんあると個人的には思う。

とかいう話も、結局真面目な私だからこそなんだろうな…と思ったり。

ここで発言をすることも全て自戒の念を込めてにはなるけれど、過去や根源は今の時代の別のことにも応用できると学んだので、そのような場をみんなで一緒につくりながら、私も教える側ではなく、一緒に再発見していきたいと改めて思っていて。

つくられた社会の構図の中にいると、それに縛られて知らない世界があることすら気づかないけれど、そのきっかけを東京やほど遠くないところからつくり、発信をしていく予定です。

普通に生活をしていて、疲れてしまうという人もいると思う。
(まさに私はそのひとり)
来年は、知らなくても生きられるけど、知ったことでより未来に向かって自分らしく、楽しく生きられる、そんな社会の一片をみんなで担っていきたい。

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