独り言@元旦

#note書き初め

ある3つの達成したい作品を制作していこうと思うのだが、

「これをしてからあれをしよう、それをしてからどれをしよう」と、順序を決めたら、
それが終わるまでなかなか終わらない。
しかも、ひとつの物事に対して増幅が止まらない。


困ったことに?、いっそ総合的にしようかと思ってしまう。
ネーム、プロット、下書き、アイデア、デザインなど、思いついたことから1つずつしていこうと思う。
くらしや仕事における他の作業でも、私の今までの人生において、そういう時がままある。

何故なら一番困るのは、

「行き詰まって全く動けなくなる」

ことだ。


とりあえず、総合的に見渡して、
できるところから動いていこうと思う。
学生時代の試験みたいなものだ。とりあえず、大きいパズルのように、できるところから埋めていく。


そうしたら、まずどこか一歩を踏み出すと、そこから次の一歩が見えてきて、一歩ずつ新しい道を四方に見つけて歩き出せるはずだ。
そこから、ゴールの先にある全体を信じて歩いてみようと思っている。

・・・・・


年末の多忙期が過ぎ、
久しぶりにweb漫画や漫画雑誌を自分なりに研究しながら読んでみた。
大衆雑誌は特にテーマをそれぞれに持っているのでそうなってしまうのだけれど、
細かい設定は違うけれど、パターン化されているな……と。
web漫画の方が色んなジャンルがある気がする。

でも、なんだろうな……。
幼少期から現在に至るまで、周りから、

「普通ではない、変わっている、一般的な人間ではない」、
果ては
「発達障がい?」
と言われてきた人生だけあって、
世間と感覚のズレがもとからあるのか、先天性なのか後天性なのか、

「一般うけのストーリー・作品」がうまく発案・発想できない。
しかし、勉強不足は勿論ある。努力も研究も実践も足りない。

しかし、センスの問題か努力の問題か、どちらにしても、
今の私では、大衆を相手にする作家には相応しくない。

生業にしたいと望んでいても、
社会に受け入れられ利益を出さなければ、安定した生業にはならない。


でも、無理にウンウン悩んでいたら、頭がパンクしそうになって、
本来最も大切な「作品を楽しんでつくる」ということを忘れてしまって、
本末転倒で更に描けなくなる。


作品を楽しみながらつくりたい。


世間から離れて、世間の評価や顔色から離れて、

自分の為に、自分の人生における最高の作品をつくりたい。

時折、未成年の時に自由に楽しく作品をつくっていた自分を思い出し、当時の作品を見てまた思い出す。
あらゆることが未熟な作品だけど、
でも、とても楽しかった。
少なくとも今より発想力は豊かで、それを楽しんでいた。


現在、資料集め、設定、プロット、ネーム等を同時にしているが
(段階を追っていたらいつまでも進まないので、とりあえずこの方法でしてみる。「ものは試し」の感覚。まだ個人だけの問題で自由がきくので。必要を再確認したら、順序を追う作り方に戻ることもできる。どちらも自分の大切な経験だから。)、


これでも時間が足りないので、ネーム、下書き、ペン入れを同時にしてみる。


洋画、
「Finding Forrester 」(小説家を見つけたら)2000年米国、2001年日本公開、

ガス・ヴァン・サント監督、
ショーン・コネリー出演、
より。



「いいか、第1稿は、ハートで書け」
「そして、リライトで頭を使え」

「自分のために書いた文章は、人のために書いた文章より優る」



そうこの言葉。

今はこの言葉に頼りたい。

今までの夢を一度捨てて、
再建して、自由に楽しく、自分の為に作品を書くことを決めても良いかもしれない。


逃げと思われても構わない。


自分の人生で、自分が急遽死んだ時に、
後悔しないよう、生きることが、
私には愛する亀の次に大事なのだ。


まだそんなに周りを巻き込んでいないのが、
それが良いのか悪いのか、変な感じだが、
そう、不幸中の幸いで助かった。

考え方が変わるかもしれない。
でも、その変化の流れが、自分が人生を見つめることに最善の策ならば、
周りを悪く巻き込まない範囲ならば、
それも構わないと信じたい。

赤城 春輔

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