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*014 学習後記

先日、税理士試験を受けた。
会社を始めてからずっと受けたいと思っていた試験なのに、受けるまでに結局16年も経ってしまった。
今年会社を辞めることにして、今やりたいことに時間を使って過ごそうと決めた時、やり残したこととして圧倒的に視界を塞いでいたのが、税理士試験だった。自分でも、今更そこに行くのかと驚いた。とりあえずあれをやらずにはどこへも行けないのだという感じがした。

会社の為に必要な実務として長年やってきた業務だったけれど、今のままでは、ほんの一部しか知らない。簿記というシステム・技術は、奥深く緻密な発明で、一度気が済むまで勉強して全体像を見たい。仕組みを理解したい。と、ずっと思っていた。

それから、40を過ぎて何もかもが減衰していく様に感じ始めた時期で、自分が、どのくらい新しい物事に向き合えるのか。分からないものをどうやって噛み砕いて飲み込んで、血肉に変えていけるのか、それはどういうプロセスを辿るのか、知りたかった。
超難関且つ複数科目を取得する試験なので、資格が欲しければさっさと専門学校に駆け込むべきなのだけれど、資格が欲しい訳でも税理士になるつもりもない私は、知りたいことを知る。という至極単純な欲求に時間を割きたかった。これは我が儘且つ、贅沢の極み。

急に始めた受験生活は、色々な時期を経て、とても新鮮な毎日だった。知識を学んで習得していくということが、身体的にどういうことかを観察する日々だった。
淡々と繰り返し、変化しているんだかしていないんだか。という毎日の先に、ある時からふっと次の段階に進める様になる。筋トレして体が変わって、出来ることが増える。というのととても似ていると思った。

難しいことを、知らない言葉で書かれている文章を、分からなくても毎日読み進める。自分の頭がもの凄く悪いせいなのかな?と大真面目に思う。問題を解いてみるも、荒野を呆然と眺める様な心境になるばかり。少し出来る様になったかと思った直後に、別のレイヤーから鈍く殴られる衝撃。膨大過ぎて、毎晩絶望する。
しかし不思議だったのは、次の日には気持ちがリセットされ続けたこと。これぞ年の劫か。とか思った。
もう少し落ち込んだり、勉強をしなくなったり、スランプと呼ばれる様な状態になることもあるだろうと想像していたけれど、それらはほとんど起こらなかった。
日々、自分の工程を書き換えながら、どこまで行けるのか分からないままに遠くまで走る。という作業は、思いの外自由で、圧倒的な広さを感じた。
得意なことと出来ることの中で、最良の選択を打率高くこなしていける様になることは本当に素晴らしいけれど、多分、とても狭い。

7ヶ月以上、出来なくても毎朝起きて机に向かうことは、ストイックに楽しかったし、とにかくもっともっと潜りたいとばかり思っていた。
水の底は大変に安らかだった。

こんな贅沢な日々は、2度とないだろうと思う。
いや、それはいつだってそうか。学生生活も、仕事の一つひとつも、会社の運用も、こんな特別な時間がそんなに続く訳ない。あれは愉快だったなと思い出すこと想像する。いつでも。今回の受験生活もそのひとつだったのだと思うし、それを思い出せたことが何よりも。
そうやってこれからもやっていけたら良いなと思っています。