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大抵のことは、知っているか?知らないかの違い

こんにちは!

久しぶりにnoteの投稿を書いていきたいと思います。

今日は「大抵のことは、知っているか?知っていないのか?」で全て決まる説みたいなことを書いていきたいと思います。

知らないというペナルティは大きい

よく、勉強する意味などを考えていた時、いつもこの回答に行き着いていました。

それは「知っている」「知らない」の違いということにです。どういうことかというと、テストで点数を取ろうと思うと問題集を解けているか?解けていないか?の最大の違いは暗記できているもそうですが、まず知っているか?

人間は知っている範囲内でしか、答えることができませんし、考えることができません。

学力がある人、教養のある人はこの範囲が大きいためいろいろな角度から物事を判断しやすくなります。

そのため、「知らない」というのは「知っている人」と比べると大きなペナルティを抱えることになります。

知らないレベルを下げていけばいい

知らないということがペナルティと感じたと思いますが、実際、急にいろいろな物事を知ることや、結局何からやればいいのか?にたどり着くはずです。

自分も調べていると、「知らない」「無知」にはレベルがあると分かったので、それを少し共有したいと思います。

画像のように、4つの段階があります。私の考えといては最低でも「知識の欠如」までのレベルにいるならば解決だと思っています。

実際、「無知の欠如」にはなれないと思いますが、自分が知らないというところに気づけているのであれば、調べればいい、みたいなステップを踏めるからです。

そして一番、やばい状態というのが、「知らないことが何か気づいていない」という状態です。

知らないことが何か気づいていないと、何を調べていいのか?もそうですし、そもそも知ることもできません。

しかし、この状態で「知らないことが何か?」ということに気づくことは難しいなと書いていて思いました。

それであれば、「知らない」ではなく「モヤモヤしていること」「悩み」みたいな視点から掘り下げるしかないのかなと、ちょっと考えが甘い気がしますが。

まとめ

最後に言いたいことは「知らないというペナルティ」もそうですが、一番は知っていると考え幅が広がるということです。

先ほどの「無知」にもつながりますが、知らないことに気づけるという段階に上げるためにはある程度、自分の知っているものに繋げたり、知らないことをうまく分析するみたいな能力が必要になってきます。

その時に、「知っている」ということを自分の中でどれだけ繋げれるか?それが必要だと感じました。