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人はなぜ自然を求めるのか

休暇は、自然の中でリフレッシュしたい。老後は、大自然の中で自給自足の生活をしたい。

これらは、人間としての自然な欲求だ。でも、どうして、これだけ高度に開発された社会を捨てて人は自然を求めるのか。

それは、自然には癒しの効果があるからだと思う。癒しは解放によって起こる。例えば、自然に浸ることで五感が刺激され、リラックスできるということもあるが、本質はもっと深いところにあるのではないか。

僕の父が、10年近く前にヨットでロサンジェルスからハワイまで行ったことがある。1ヶ月近くをヨットの上で過ごし、10mを超える波を経験し、船酔いで終始ヨットで寝ているというつらい体験だったらしく、僕に、「大自然の偉大さを感じて意識が大きく変わるので、お前は今はまだ行かない方がいい」とそれまでとは大きく違う話をしだした。

昔から、仏教の悟りを開くための修行では滝行が有名だ。Wikipediaによると滝行とは以下の通り。

滝行とは、滝場に顕現する神仏や諸霊への畏怖・畏敬の念に基づき、滝の水流を全身に受けることにより、 ある目的(解脱・霊験・法力・活力を得る、 悩みの解除・祓い、 武道やスポーツの技量の向上など)を達成すべく、 心身を鍛錬する日本の伝統的な身体技法である。

また、ある宇宙飛行士が月に到達して戻ってきた後に、「神を見た」という話をしたらしい。

これらは、おそらく人間のコントロールを超える自然を感じることで得られる気付きからきているのではないか。          

この気づきを秀逸に要約しているのがこのアインシュタインの言葉だ。

人間は、私たちが"宇宙"と呼んでいるものの全体の一部です。時間も空間も限定された一部なのです。人は自分自身とか、自分の思考や感情などが、体のほかの部分とは切り離されているもののように考えています。これは自分の意識に対する一種の幻想です。

この幻想は一種の牢屋のようなもので、ここに入ると個人の欲望や自分に近い数人に対する愛情だけに縛られることになります。私たちは、あらゆる生きものと自然全体を、そのすばらしさゆえに抱擁するために、慈しみの輪を広げてこの牢屋から自分を解放しなければなりません。

これが完璧にできる人はいませんが、努力し続けること自体が、この牢屋からあなたを解放し、内的な安定を得るための基礎を作るのです。

多くの人がこの自己という幻想に縛られて生きている。そこから抜け出すためには努力が必要で、抜け出すことで内的な安定を得ることができる。

つまり、人間は皆、本能では、この自己からの開放を望んでいて、そのために自然を求めているのではないか。そして、宇宙というのはその自然の先にある存在かもしれない。

そして、さらに秀逸なアインシュタインの言葉。

人間の真価は、自己からどのくらい解放されているかによって決まる

人類を進化させる発見をした科学者は、宇宙物理学を超えた人類の真理が見えていたからこそ、特殊相対性理論が導き出せたのかもしれない。

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