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【コラム】 800円のカップラーメンのような女

わたしは富士山に登ったことはないが、以前、登山が趣味の先輩からこんなことを聞いたことがある。
「富士山の山頂ではカップラーメンが800円だった。でも、あのとき食べたカップラーメンの味は一生忘れないよ。あの一杯は、800円以上の価値があった。」
いつもだったら残してしまうスープも、このときは飲み干したらしい。


今日は新月。
ちょうど注文していた手帳が届いたので、来年の手帳を前に今年を振り返りながらこれからどうしていきたいかなんぞをちまちま書き始めたとき、ふとこのカップラーメンの話を思い出した。
ちなみに、富士山で買う水は、5合目では200円、6合目では300円、7合目では400円、そして8合目から頂上では500円になる。
同じ水なのに、場所が変われば値段が変わり、価値が変わる。

『わたし』というひとりの人間はどこに行っても肉体自体は変わらないけれど、どこにいるかや、誰といるか、自分を自分でどう思っているかで存在感や扱われ方は変わる。
だから、自分が身を置く場所を選ぶことがいかに大事かってことだな、と。
そして、自分に対して軽やかな誇りのようなものを纏っていたいな、と。
そう思った。

自分がどう在りたいか、を明確にしているとそれは周囲にも伝わるものだ。
気をつけたいのは、誇りを鎧にしないこと。
誇りを鎧にしてしまったら、それはただプライドが高い人になってしまうから。
誇りは、軽やかに纏いたい。
人見知りで周りの目が気になってしまうわたしには、これには少々努力が必要そうだ。
でも、望もう。

そして、決めよう。
最後の一滴まで飲み干されるような価値のある、富士山頂で食べる800円のカップラーメンのような女になろうぞよ!



晴海たお






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