noteを始めた理由


導入と少しの自己紹介

noteを始めた。時刻は午前4時。場所は出張先のホテルで。
自分は何かを始めるのに時間がかかるタチで、今回みたいに、変な時間・場所で場当たり的に始めることが殆ど。

記念すべき初投稿。さあ、何を書こう。
現時点でこの文章を読むのは恐らく自分しかいないので、何を書こうが本当に自由。自由と言いつつ、実は書こうと思っていたことはある程度決まっていて、『今の気持ち』=『noteを始めようと思った理由』を書こうと思う。

本題に入る前に少しだけ自分の情報を。

  • 年齢:飛鳥ちゃんと同い年

  • 性別:相席屋でお金を支払う側の性別(行ったことはないけど)

  • 職業:定額の給料を毎月決まった日にもらっています

理由をうまく説明するために

さて、noteを始めた理由を語ろうと思う。
ただ、理由を語るというのはとても難しい。理由を語るのが難しい理由は複雑であるからだ。他の質問、例えば『どこで?』とか『誰と?』とかに対する返答は事実ベースで1つの名詞を答えればいいだけなので、すごく簡単。一方で『なぜ?』という質問に対する返答については、複数のモチベーションや自分の微妙な感情が答えのソースになるので、それらを上手くまとめて言語化する羽目になる。これが大抵難しい。で、大抵の場合、答えられたとしても稚拙になるかフワッとした回答になる。就職の面接で執拗に『なぜ?』『なぜ?』と所謂『深掘り』をするのは理に適っていて、『なぜ?』に対する明確で納得感のある回答をすぐに用意できるヤツは、頭がいいか本当のことを言っているヤツだからだ。(私は就職の面接が苦手だ)

兎に角、『なぜnoteを始めたか』に対する回答は一筋縄ではいかない。

そこで、数字を使おうと思う。
つまり、自分の感情の全体を100%として、それぞれの要素がどの程度の割合を占めているのかを明示するのだ。
この方法でどの程度自分の気持ちを詳細かつ明快に表せるのかは分からないけれど、兎に角やってみよう。


50%:暇だから

大前提、暇じゃないとこんなことやってみようと思わない。仕事と生理的な活動で自分の時間の殆どが終わる生活をしている人は、noteを始めようとは思わないと思う。忙しいのは悪だなと思う。(忙しかった時期は一度もないけど)何かを考えて、何かを始める機会を奪われる。

30%:人生の時間を逆説的に有効に使うため


自分は次のような性質がある。

  1. 空想に耽ることが多い

  2. 次々と別のことを考える

  3. すぐ忘れる

つまり、ぼーっとして何かを考えてはすぐに忘れるということを繰り返して生きているのだ。当然考えていることのうちの殆どは、意味のないこと・つまらないことなんだけど、偶にいいのが思いつく。だが、3の性質により、思いついても3分以内にこの世から消え去る。1及び2の性質を治して、有意義なことに一生懸命取り組めばいいのだが、性質なので、結構難しい。で、この度は治すのを諦めて、これから無駄に明かすであろう自分の夜の時間を有効化していこうと、noteを開いたわけだ。

15%:文章を書くことに才能が要らないから


スポーツと音楽はできた方がいい。ただ、私はスポーツと音楽は苦手だ。そして、スポーツと音楽は才能が物を言う。スポーツと音楽ができるヤツはとんでもない努力をしてきたようなことを言うが、それも初期値がある程度高くて、吸収力が高くて、それが原因で努力ができたって要素が大きいと思う。とどのつまり、私はスポーツと音楽が人の目を引くほどにはできないことに、少しだけコンプレックスがある。
そこで、何か代替を考えた時に、文章に白羽の矢が立ったわけだ。文章っていうのは、正直上手い下手が分かりづらくて、訳のわからない俳句がプレバトで昇格できたりする分野だ。この分野なら、noteで腕を磨けばやっていけるのではないか。(『やっていける』の定義は不明)そう思った部分が多分にある。
ただ、スポーツと音楽ができた方がかっこいい。
(平安時代の偉人は文章が上手い人(歌人とか紫式部)ばっかりなので、そのうちひっくり返るかもね)


5%:さっきお風呂でライフワーク規模のやりたいことが思いついて、それをスライドとかに起こす前の整理にnoteが便利かなと思ったから


背景から話す。
自分が今社会人1年目がもうすぐ終わる3月で、「だいたい社会人こんなもんか」って心情がここ1ヶ月ぐらいあった。

社会人って楽しいよね。自分で稼いで、自分が家賃を払っている家に住んで、自分で税金を払って、自分の使いたいことにお金を使う。
特に最後の『自分の使いたいことにお金を使う』ってのが楽しくて、自分が価値を感じたものに対して、限られた身銭を切って購買という形で投票しているような感覚。(投票権が無限にあったら選挙にならんので、身銭が限られているのも重要)
あと、学生時代後半の18~20代前半って、親から心理的には殆ど自立してるんだけど、経済的な自立が達成できてない点で、やっぱり親の意向っていうのがはとても大きい。そう行ったことを思い出すと、社会人は楽しいと思う。
楽しいんだけど、社会人こんなもんかって今思ってる。その理由は多分、一回夢破れた(ことが確定した)今、目標とか夢がないから。
学生は親からの制限を受ける一方で、良いとこもあって、それは夢を見る権利があること。だってどこの企業・職業に就ける可能性もある。これはすごい。
で、自分を省みると、自分の行きたかった会社にも自分のなりたかった職業(そんな明確なものはなかったけど)にも就けず、大量消費の自由経済主義の日本社会を謳歌して快楽を浴びまくってるだけ。日常は楽しいかもしれないけど、よくよく考える深夜があれば、これで良いのかってなる。(社会人はよくよく考えなくて済むように酒を飲む性質がある)
しかし今から、スポーツや音楽で大成できるかと聞かれればそれは相当怪しい。社会人は夢を見てはいけないのだ。見ても良いけど叶わないから虚しいよ。でも、別に社会人でも見てもいい夢があって、自分が考えるにそれは以下の条件を満たす。

①自分のやりたいことの実現にあたって、なんらかの需要を満たすこと

そして、下記を満たせばさらに叶いやすい。

②自分より優秀、或いは大きな人間・機関を巻き込む

平たく言えば、社会人の夢は独りよがりのものではダメで、(本当の目的は自分本位で構わないのだけど)その過程で資本主義社会を満足させる必要がある。で、なおかつ他力の比重を上げると叶いやすい。
上記は僕の持論ではなく、いろんな人が同じようなことを言ってるから多分正しいと思う。社会人は夢を見る期間は既に終わっているので、夢を見る場合、ある程度の制限があるイメージなのかな。

さて、上記は本題ではなくて、要は自分のやりたいことを実現するには、
①誰かの需要を満たして②他人を動かすことが必要、ということが言いたいだけ。で、①には自分のやりたいことの分析・②には自分のやりたいことについて他人に説明することが必要になる。そのどちらも叶えるためには早い話、プレゼン用のスライドが用意できれば良いんだけど、これが難しい。なんで、『その前段階としてnoteがいいのでは?』となった。
(最後時間がなくて駆け足になった)


まとめ


自分がnoteを始めた理由は

50%:暇だから

30%:人生の時間を逆説的に有効に使うため

15%:文章を書くことに才能が要らないから

5%:さっきお風呂でライフワーク規模のやりたいことが思いついて、それをスライドとかに起こす前の整理にnoteが便利かなと思ったから


という結果でした。

最後に伏線回収的なことを記す。(創作に於いて、伏線回収がかっこいいと思ってるので)
上記の文章をパッと見返してほしい。何か気づく?
いや、自分が読み返して思ったのが、心情の占める割合が小さい要素ほど文章量多いなと。直感的には大きな要素ほど、細かく分析するので、文章量を多くなりそうだよねと。

まあ、そういった意味で人の感情は一筋縄ではいかないので、偶には自分の感情を文章に起こして俯瞰してみるのも面白いね!と思いました。

時間もないので、こんなオチでどうですか?









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