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【劇評294】仁左衛門の水右衛門に、悪の真髄を見た。

 「一世一代」とは、その演目をもう二度と演じない覚悟を示す。役者にとって重い言葉である。

 仁左衛門はこれまで、『女殺油地獄』、『絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)』、『義経千本桜』「渡海屋・大物浦」を、一世一代として演じてきたが、二月の大歌舞伎では、自らが育ててきた演目『通し狂言 霊験亀山鉾—亀山の仇討—』もその列に加わった。

 もちろん淋しさはつのるけれども、筋書によれば「この狂言は、長い間私以外演じられていない狂言で、私もまだまだ演じたいのですが、”仁左衛門も歳を取ったね。前の方がよかったね”と言われないうちにという思いで、今回を最後と決めました」とある。

 芯に立つ役者は、つねにこうした不安と背中合わせで舞台を勤めているのがよくわかった。

 さて、この狂言は、東京では主に国立劇場で上演されてきた。私としては、平成十四年の十月に奈河彰輔監修で上演されたときの衝撃が忘れがたい。
 仁左衛門が二役で演じる藤田水右衛門と古手屋八郎兵衛の悪がしびれるような悦楽をもたらしたからである。
 今回の上演でも、その衝撃は少しも薄らいではいない。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。