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【劇評184】絶望の中にも希望はある。シェアハウスの今を描く伊藤毅の『ののじにさすってごらん』

 日本で非常事態宣言が行われたのは、四月七日である。
 もちろん五月二十五日には全面解除されている。けれど、私たちが新型コロナウイルスとともに、この地球に生きている現実は、じわりと私たちの考えや行動に影響を及ぼしている。

 伊藤毅作・演出の『ののじにさすってごらん』は、シェアハウスに住む人々を描いている。
 外国人たちが帰国していくなかで、ベトナム人のグエン・ヴァン・ダット(辻響平)と中国人のコウ・マーメイ(石原朋香)が残っている。
 着ぐるみの俳優歌野(佐藤滋)やキャバ嬢の中井(工藤さや)ら一癖ある日本人たちといたわりあいながら共同生活を送っているように見える。
 シェアハウスの管理人高橋(木崎友紀子)と中井が、あの二人には畑に近づくなと謎めいた言葉を交わすが、この秘密めいた会話から、日本に在留する外国人労働者と差別をめぐる物語へと展開していく。

 私がこの舞台を推す理由はいくつかある。

 ひとつは、基本的に登場人物たちはマスクをつけて登場するが、感情が激したりするとマスクをはずして話し始める。このシェアハウスでの共同生活と、演劇の現場が重なる。
 演劇の稽古場での演出家と俳優、スタッフ。劇場での俳優と観客の共生が暗喩として語られている。これほど切実な今が切りとられた新作を観たのは、この作品がはじめてだった。

 第二に、シェアハウスには住んでいない住人の登場が、一見安定している秩序を攪拌していく劇作がおもしろい。
 松本と名乗る若い女性(井上みなみ)は、歌野の肉親だった。外国人のふたりが野菜を盗んだと信じ込んでしまった女性三浦(緑川史絵)は、先の畑で野菜を作る農家だった。この直接には関係ない松本と三浦が、この家の外でばったり出会い、またしてもこの物語にからんでいく趣向がユニークである。

 第三に、国境や文化や言葉を超えて、人間の信頼が描かれていることが根を打つ。
 冒頭、マーメイは、特定技能実習の勉強をしている。うるさくしゃべって、テストの邪魔をして平然としているシェアハウスの住人たちを迷惑に思っている。
 マーメイに試験の指導をしているホテルマンの小島(岡野康弘)が、何度も彼女に拝んで謝る仕草を繰り返すが、この不可思議な行動が、劇全体を貫く主題とつながっている。

 伊藤毅の劇作は、人間が感情によって大きく左右される現実を見事に描いている。さらにコロナウイルスの脅威が、その感情の振幅をさらに激しくしている現実を突きつける。

 温厚な小説家志望の平松(尾崎宇内)や山形の実家に帰省していた綿引(中藤奨)もまた、この現実によって、行き方を変えようとしている。その絶望を笑いとともに書いていて才気がほとばしる。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。