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【劇評334】東のボルゾイの『ガタピシ』は、きしむ音をたてている私たちの心をえぐり出す。

 アルベール・カミュは、こんなことを書き残している。
「私にとって演劇はまさに文学的ジャンルの最高峰であり、いかなる場合も最も普遍的なものだからです。私は作者や役者に「客席にいるただ一人の馬鹿者のために書いてくれ、演じてくれ」といつも言っている演出家と知り合いになり彼を好きになりました」
(カミュ、東浦広樹訳『私はなぜ芝居をするのか』)

 日本独自の価値観に基づいたミュージカルを創り出す。この積年の夢に劇団『東のボルゾイ』は、果敢にも取り組んできた。

 これまで観てきた作品は、テーマの社会性とミュージカル特有の形式のあいだに齟齬があった。このテーマであれば、ストレートプレイとして掘り下げるべきではないかと思ってきた。

 すみだパークスタジオ倉で上演されている『ガタピシ』(島川柊作 作曲・演奏久野飛鳥 大舘美佐子演出・振付)は、こうした疑問を解消するのに充分な水準に達していた。

 挑戦的な試みは、実は演出家と俳優たちの力量が追いつかなければ、結果を生まない。第五回公演となった本公演では、テクニカルな問題が解決してきた。私は初日プレビューで、A班を観た。

 中学の教師(森加織)が亡くなった。しかも、火葬場で焼いている最中に、炉が故障したという設定である。開幕前、観客は方形の舞台の上に乗った棺桶と向かい合う。舞台奥にある縦長の開口部は、みっつ。その中央が、炉であるという見立てだろう。

 冒頭のアンサンブルによるダンス、そして続くイト(ユーリック永扇)キヌ(桂芽来)、アサ(藍実成)、ハリ(大根田岳)、ニット(圷智弘)、ワタ(細谷美貴)が、椅子を持って登場し、円陣を組む。
 ダンスはぎくしゃくして、どこか不自然な動きを含んでいる。それに続く中学生たちの円陣は、まるで降霊会かセラピーのようで、この集団が何か重大な問題をかかえているとわかる。

 



 ブルーのアイシャドウを強調したメイク、アンサンブルのブルーの衣裳は、現実社会の闇を象徴しているかのようだ。そこで歌われる楽曲は、愚かであることの自由を主題としている。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。