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京都アニメーションについて

ニワカオタから見た京アニ

 私が京アニ(京都アニメーション)の存在を知ったのは2005年のこと。伝説的なアニメ『Air』が放送されていた時です。アニメ放送前から『Air』は美少女ゲーム(ノベルゲー)の頂点に君臨していて「鍵っ子」と呼ばれる熱狂的なファンも数多くいましたが、京アニは彼等の期待を遥かに超える作品を作り出してしまったのです。静止画でしか成立不可能とまで言われていた「いたる絵」を破綻なく動かしたというだけでも驚異的でしたが、より洗練されたキャラクターデザイン、繊細な構図、緻密に描かれた背景の空気感など、画作りに関してはゲームや当時のテレビアニメのクオリティを凌駕するものでした。複雑怪奇なストーリーに関しても、1クール(12話)内で原作を網羅しつつも分かりやすく構成され、演出面に関しても当時のPCゲームでは表現しきれなかった部分まで丹念に作り上げていました。あえて言えば京アニは特に新しいことは何もしておらず、ただひたすら原作を忠実に再現するために長年培ってきた技術を結集させただけなのかもしれません。しかしそれこそがモノづくりの真髄であり彼等の挟持なのだろうと、当時私は非常に感銘を受けました。ガイナックスやジブリの様にカリスマ監督が牽引する作家性の高い制作会社というよりも、京都の名も無き職人集団的なところが神秘的で、そこがむしろ京アニのブランド力を高めていた印象があります。

 その後も京アニはよく知られている通り『ハルヒ』『けいおん!』などのヒットで快進撃を続けます。私はアニオタというわけでも無かったのですが、京アニ作品なら普通に楽しむことが出来ました。今振り返ってみると私が深夜アニメにハマっていた時期は京アニ全盛期と一致します。Twitter上では散々ツイフェミたちによる萌え狩り批判をしてきた私ですが、白状すると萌えアニメは基本的に苦手なんですよ。しかし京アニ作品は典型的な萌えアニメ的でありながらそういう苦味が殆ど無かったのです。だからこそ蛸壺的なアニメファンコミュニティの枠を超えて非オタの一般人や海外のファンにまで受け入れられたのかなと思います。嫌な言い方をすれば「正しいアニメ」を作り続けたからこそ世界的にヒットし続けたのかなと。

 ただ、こうやってヒットを続けると当然アンチも発生します。当時はTwitterなどのSNSも普及していなかったため、アニメファンのコミュニティは専ら2ch(現5ch)でした。京アニ作品に関するスレッドは1日に何個も消化するほど盛り上がっていましたが、アンチを隔離するためのスレッドも本スレ並に伸びていました。京アニファンは私のようなニワカオタが多かったため、秋葉原のホコ天でハルヒダンス──思えばこれも無差別殺傷事件によって失われてしまった風景──を行うような人たちは古参オタクから排除される傾向にあったのです。当時はYoutubeやニコ動も黎明期で、まだまだこういう陽キャ的なオタクは異端でした。オタクが市民権を得だしたのは『らき☆すた』の舞台の一つとなった鷲宮神社の参拝者数が増えるなど、いわゆる「聖地巡礼」などによって京アニ作品が本格的に地域振興にも繋がり始めたあたりからでしょうか。そう考えると京アニは日陰者だったオタクたちをエンパワメントした功労者であると言えるのかも知れません。

 その後私は、プライベートの変化などもあり2010年に放送された『けいおん2期』の26話をもって"気持ちよく"深夜アニメを卒業させていただいたため、最近の京アニの動向についてはあまり知りません。『響け! ユーフォニアム』や『Free!』などの情報はTwitter上でも何度か目にすることはありましたが、特に炎上しているわけでも以前のように目立ちすぎているわけでもなく、平穏かつ安定した経営を続けていると思っていました。なので、今回の京アニ放火事件はまさに青天の霹靂だったのです。

京アニ第1スタジオ放火を受けて

 7月18日11時頃、SmartNewsの通知で京アニの放火事件を知り、私も仕事中でしたが即座にニュースサイトにアクセスすると、見覚えのある黄色いビルが尋常じゃない燃え方をしている。最初は10名が負傷、容疑者は逮捕とのことでしたので、全員なんとか避難はしたのだろうなと都合よく思い込んでいたのですが、それでも現在制作中の作品や貴重な資料なども全て燃えてしまったのかと思うとしばらく放心状態に陥ってしまいました。ところがその後、次々と心肺停止状態の方々や行方不明者の情報なども出てきて、軽く貧血を起こしそうになりました。大学時代の友人たちが働いていてもおかしくない企業ということもありますが、世界に誇れる文化やアニメ作りに命をかけてきた職人たちが理不尽に焼かれる様をリアルタイムで見せつけられて、冷静になることが出来なかったのです。私もモノづくりの仕事を行っていることもあり、他人事とは思えませんでした。

 尋常じゃない喪失感と悲しみ、そして私の身にもいつ降りかかってもおかしくないという恐怖感に苛まれ、とにかく容疑者の動機が詳しく知りたかったのです。いわゆる「無敵の人」にありがちな「誰でも良かった」系の無差別殺人というよりも、強い殺意を持って京アニの職人たちをターゲットにしているのは明らかでしたから。

■容疑者の動機

 今のところ判明している動機は容疑者が口にした「殺してやる。おれの小説、パクりやがって」「社長を呼べ」という言葉くらい。その真否については不明ですが、仮に盗作が本当のことだとしても、その程度の理由でわざわざ埼玉県から京都まで移動し、数日間現地視察を行い、計画的に大量虐殺を実行してしまったという事実に、単なる容疑者個人の精神疾患では片付けられない社会的な問題が潜んでいる気がしました。

 詳しい動機がわからない以上、ここからは推測で話をするしか無いのですが、私は今回の事件を受けて、前述した京アニ作品のアンチスレッドを思い出しました。

 上記は今回の事件の容疑者ではないかと噂されている書き込みを抽出したものです。アンチスレではありませんが「京アニにアイデアパクられた」 「爆発物もって京アニ突っ込む」という内容や、刑務所を経験しているなどの点で容疑者の人物像と一致しています。書き込んだ人物が容疑者ではないとしても、同じような恨みを持つ人間は他にも存在していたということになります。

 ここまで拗らせていないとしても、京アニを執拗に叩くアンチは、私の知る限り『Air』放送時の頃から存在していました。アンチスレで繰り広げられていたのは、京アニやそのファンたちに対する羨望や嫉妬、やっかみなど、陰キャならではの屈折した内容が多かった記憶があります。かくいう私もTikTok的なノリの「ハルヒダンス踊ってみた」系動画などに関しては、アンチたちに共感出来る部分はありました。いわゆる「リア充爆発しろ」です。ただこれは「通常の感覚」なら自虐ネタとして処理されるものです。あくまで「通常の感覚」なら。しかし、仮に私が三島由紀夫の小説『金閣寺』の溝口の様に手詰まりの状況に陥った場合、京アニに対する憧れや敬意とは裏腹に、自分自身の境遇とのギャップで倒錯した感情を抱き、破滅的な行動を起こしたかも知れません。ジョン・レノン殺害事件や美空ひばり塩酸事件、最近では新宿ホスト殺人未遂事件など、ファンの憧れが憎悪に転じるケース自体は珍しいことではありませんから。石野卓球氏も常々話していることですが、ファンとアンチは紙一重の存在です。ファンの熱量が高いほど、その分危険性も高まってしまうのです。

 当然、京アニに非はありません。「非常階段を設置すべきだった」「セキュリティをもっと強化すべきだった」「オタク界隈に迎合しすぎだった」などというのは全て結果論でしかありませんから。しかし今後の教訓として今回の事件を検証する必要はあると考えています。

■的外れなオタク批判

 京アニを放火した容疑者は確保されても、今回の事件を容疑者個人の問題と捉えるのは危険です。アニメに限らずですが、表現物だけではなく表現者自身も守らなければならない時代になってしまったのだろうなと痛感しています。その点に関しては、Twitter上でも大炎上したヤマカン(山本寛氏)のブログに同意できる部分はあります。

「京アニがこれまでの代償を払った」「年貢の納め時」というのは私見が入り過ぎな上に、いささかペシミズムに過ぎるとは思うのですが、今回のような悲劇を繰り返してほしくないという気持ちは強く伝わりました。『らき☆すた』降板以降、京アニと敵対していたとは言え、彼にとっては育ての親を殺されたようなものでしょうから、さぞ悔しかったのだろうと心中察します。なので私はヤマカンが今回の件でどんな暴言を吐こうがあまり責める気にはなれません。

 某大芸大教授は「終わりなき日常の終わり」という(これもまた大炎上した)コラムの中で「(京アニ作品が)精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた」と、ヤマカンと似たようなオタク批判を繰り広げていましたが、個人的にこの手の言説は全く受け入れることが出来ないんですよね。前述したように私は『けいおん!』最終回と共に深夜アニメを気持ちよく卒業することが出来ましたし、結果的か意図的かどうかは分かりませんが、現に京アニは『けいおん!』終了以降、10年近くオタク界隈やアニメ業界の第一線から退いているではありませんか。それよりも近年は安定した経営を図るために、原作も含めた内製化の方に力を入れている印象があります。しかし、その内製化の推進こそが今回の悲劇を招く要因になってしまったと見る方が自然でしょう。容疑者がオタクかどうかなんてことはどうでもよく、あくまで「小説のアイデアをパクられた」と主張している点を重視すべきです。

■一般公募の危険性

 私は、容疑者が確保された時「小説をパクられた」などと叫んでいたという話を聞いて、最初は「京アニは原作付き作品しか制作していないのに何を言っているの?」と思いました。最近のアニメ事情に疎かったので「京アニ完全オリジナル作品なんて『MUNTO』くらいじゃないの?」程度の認識だったのですが、今回の件で初めて「KAエスマ文庫」の存在を知りました。調べてみると角川が京アニと絡んでいたのは『氷菓』までで、それ以降ほとんどの作品は京アニのレーベルである「KAエスマ文庫」にて小説を一般公募し、受賞作品をベースにアニメ制作を行っていたのですね。

 ただ、こうやって作品制作の領域にまで不特定多数の一般人による著作物を招き入れる行為は、権利問題などが発生しやすく非常にリスキーだと思います。しかも受賞作品のアニメ化を行う際、京アニが原作を大幅に脚色することもあるという事は、そこに京アニオリジナルの要素が入り込むという事でもあり、無数の応募作品がクローズドである以上「アイデアを盗用しているのではないか?」という疑いや因縁を付けられる隙を与えかねません。逆に、応募作品が多くなるほど全てのネタと被らないように新たな作品を創作するのは至難の業でもあります。京アニに限らず、一般公募における著作物の取り扱いに関してはもう一度よく見直した方がいいのかも知れません。当然、今回の様な事件が起きるなんて誰も予測しようが無かったので、これも結果論に過ぎないのですが。

※追記と修正

 と、この文章をノロノロとまとめている間に容疑者は京アニに小説を応募していたという情報が入ってきました。となると、ますます彼個人の問題や精神疾患で片付く問題ではなくなってきたのではないでしょうか。もしこれが事実なら、容疑者はおそらく物事が上手くいかない責任を全て外部に転嫁してしまう外罰的な人間であり、かつ「小説をパクられた(と感じた)→パクリは悪→悪は罰してもいい」という、勧善懲悪メンタリティの持ち主でもあるのでしょう。こういう人はTwitter上でも日常的に見かけます。現に、この情報が出てくるなりネット上では「え?じゃあ京アニの方が悪い可能性もあるの?」というような意見も出始めています。そんなわけ無いだろ。

 仮に京アニ作品が容疑者の小説を丸パクリしていたのだとしても、パクられた証拠を用意した上で法的な手続きを踏むのが筋です。放火殺人などという私刑が許されるわけが無いでしょうが。ここまで凄惨な事件を目にしても「パクった方が悪い」などという意見が出てくること自体、私としては恐怖でしかない。匿名掲示板だけならともかく、友人からもその様な内容のLINEが届いたのはかなりショックでした。

 これこそ我々が批判してきた「お気持ち偏重社会」です。私からすれば今回の事件とSNS上で頻発しているお気持ちスクラムによる表現規制などの炎上は地続きです。容疑者がどんなに悔しい思いをしたとしても、お気持ちはお気持ちでしかなく、報復を正当化出来る材料にはなりません。しかしそれがまかり通ってしまう空気はすでに世の中に蔓延しているのです。第2第3のA容疑者が生み出されるのは時間の問題かも知れません。とうとう焼かれるのは表現物だけではない時代になってしまったのかなと。

 とはいえ、京アニ放火事件の解明は何も進んでいません。容疑者は未だ意識不明の状態とのことですが、きっちりと動機を説明した上で罪を償って欲しい。そして、これ以上犠牲者が増えないことを心から願います。

おわり

(2019.8.2 加筆・修正済)

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