秋元弦「斜里の陣屋で」(2018)

1807年(文化4年)、蝦夷の斜里(しゃり)警備のために派遣された津軽藩士の一人、斎藤文吉(勝利)がそこでの活動を記した「松前詰合日記」。それをもとに書かれた、いわゆる《津軽藩士殉難事件》を描いた短編小説。派遣された100名中、極寒やその他の災難のために生きて還ったのはわずか15名と聞くと、さながら江戸時代版「八甲田山」のようだが、こちらの事件は、様々に、かつ個々に重いテーマをいくつも内包していて一気に読ませる。  


ちなみに上述の日記が1954年(昭和29年)に初めて(しかも偶然、北海道大学の教授が東京の古本屋で見つけて)公になった、という点も見逃せない。当時の藩はこの事件を恥ずべき黒歴史と見なして隠蔽したのだ。歴史の闇に埋もれていたその期間、約150年。


 1807年と言えば、ロシアが執拗に開国しろしろと迫っていた頃で、フヴォストフ事件(文化露寇)などが起こり、幕府も蝦夷地防衛に本腰を入れざるを得ず、ますます国同士の緊張が高まっていた時期。択捉島での小競り合いでも双方死者を出し、ロシア側の鉄砲の威力に敵わないと冷静に判断し、撤退命令を下した指揮官が責任を取り自刃するような状況の中、津軽藩士たちが北方警備へと向かう――とまあ、あとは読んでのお楽しみ。 


 アイヌ独自の交換文化、当時のロシアの天文学の知識、熊の習性、そして役人特有の、責任回避に終始するあまり機能不全となる指示系統……実に様々な問題が、あくまで淡々とつづられるのがこの小説の最大の魅力。重すぎる事実に余計な修飾の言葉は不要だから。  


最後に、ねぶたという青森を代表する祭りが、このような形で政治的に利用されたことがあったのかもしれない、という衝撃は、熾火のように深く胸に残った。 

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