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今年は雪が多い八ヶ岳の麓

2週間ぶりに八ヶ岳の家へやってきましたが、また雪です。
金曜日の晩に到着したときは全く雪がなかったのですが、土曜日の朝に起きると雪景色になっていました。天気予報どおりですね。3月になってからも雪が多く、例年にない頻度のようです。
そろそろ山菜や野草の芽吹きを探しに行こうと思ったのですが、雪が積もってしまったので、今日は探しに行けないですね。
それはそれでうれしいんだけど、今日は何をしようか。いまだに行先が決まらないまま、とりあえず庭を散歩します。

どんどん降り積もる

朝からずっと降り続いているので、柔らかな雪が重なっていきます。
朝10時の時点で、こんなにこんもりと積もりました。

ソーラー式のライトの上に、とんがり屋根のように積もっている

こんなにきれいに積もると、色々写真を撮りたくなりますね。
庭や木々に積もる雪の写真を、思いつくままに撮りました。

ソーラーライトを遠目に見ながら、庭の様子

とりあえず、午前中は息子の勉強に付き合うのが土日のルーチンなので、算数、理科、社会などのテキストを一緒に読みます。
大人もなかなか勉強になりますね。
水が氷になると体積が1.1倍に増えるというのは知ってましたが、ロウが液体から固体になると体積が減るなんて知りませんでした。
で、昼からどこに行こうか。まだ、決まりません。

植物の体内時計を再認識

春の芽吹きに備えて、木々は様々な形の冬芽(とうが/ふゆめ)をつけています。
だいたい、とんがった形で固いウロコに守られたような状態になっているので、冬の厳しい寒さにも耐えられるようになっています。

雪に耐えるドウダンツツジの冬芽

こんなに雪が積もろうが、冬芽であればへっちゃらですね。
でも、葉や花を出してから雪がふると、ダメージが大きいはずです。
なので、慎重に芽吹く時期を見定めているのでしょうね。
3月下旬なのでそろそろ芽吹きが近いと思うのですが、ドウダンツツジだけでなく庭の樹木は全て冬芽の状態を保っています。進化の過程で獲得した体内時計が、しっかり機能していますね。

人間として社会の中で生きていると、あまり体内時計を意識することがないですね。
今も灯油ストーブで温めた部屋の中で、ぬくぬくとパソコンに向かっています。でも、人間が自然の中に生きていた時代であれば、1年の気候の変化を機敏に察知して、行動を変えていったんだろうなと思います。
便利なものに囲まれているのは素晴らしいことなんですが、自然のセンスを失ってしまうという副作用があることには注意が必要ですよね。

ミモリラジオというポッドキャストをよく聴いているのですが、歩いてすぐの所にコンビニがある家は、『風水』的に良くないみたいな冗談を言っていて、とても納得しましたね。コンビニがすぐだと、自炊もしないし、弁当ばかりで十分になってしまう。その結果、食生活が乱れるし、寿命も縮まるかもしれないから、それは全く便利ではないんだという主張です。
なるほど。極端な例ではありますが、便利なものの副作用という点でとても参考になりました。

なんて書いているうちに、だんだん昼になってきました。
息子の勉強も一段落したので、そろそろ行くところを決めなければ。
前々から行きたいと思っていた津金にあるカフェでもいいし、また清里方面をドライブしてランチを取りながら散歩コースを探すのもいいかな。

冬の八ヶ岳はどこも美しく、家のまわりを散歩するだけでも本当は十分なんですけどね。
とりあえず、あてもなくどこかに出かけて、行き当たりばったりの冒険を楽しみ、自然のセンスを取り戻したいと思います。

伐採して一時的に置いていた丸太も、みんな雪帽子

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