31歳の少年が東京を走る、走る

土曜日と、日曜日のこと。仕事を家で進めていると、恋人から連絡がきて、泊まりにくるという。ふいに訪れた嬉しい予定に、雑然としていた部屋をすこしなりとも整え、たまったゴミを捨て、スーパーへ買い出しに行って備える。

部屋をきれいにするには友人を定期的に呼ぶといい、というのはすっかり浸透したテクニックだと思うけれど、ぼくみたいに〆切直前にならないと馬力が出ないタイプには、このポジティブな強制力はとてもありがたい。

すっきりさが増すだけで心地よくなり、冷蔵庫に作り置きしたごぼうと牛肉のしぐれ煮があるだけなのに、自分がさっきまでいた部屋とは別物みたいに感じられるからふしぎだ。家は面白い。いいかげんに本棚をつくって整理しよう、と心に決める。

恋人と夜を過ごしていると、ふいに届いたメッセージから「固有性の発見」について話した。わたしの、わたしらしい目線のこと。あなたが、あなたっぽいといわれる意思決定のこと。いろんな言い方はできそうだけれど、ぼくは実はあまりこれが得意じゃないというか、ちゃんと向き合ってこなかった節がある。

「ぼくの固有性ってなんだと思う?」と、いきなり恋人に聞いてみると、ほぼ寸分の間もなく、「少年っぽさじゃない?」と答えてくれる。その言葉が、すーっと体に行き渡っていく。腹落ちする、というやつ。

ぼくはぼくを31年も生きてきて、それでも全然わからなかったことなのに。恥ずかしくなるくらいにぼくは舞い上がって、恋人にさらに惚れた。惚れた。すごい!なんてすごいんだ、きみは!

思えば、これまでの意思決定も、ふだんの仕事の向き合い方も、数々の失敗も、それから最近になって影響を受けた「嫌いを克服しない」ことも、その言葉に根拠が詰まっているようだった。

大人になれない。ぜんぜん。迷惑もかけてきたし、痛い目も見た。でも、それでも、その少年っぽさはぼくの原動力だったし、思考と行動が一致したときの瞬発力は全力ダッシュで校庭に駆け出した頃となんら変わりないようにも思う。

当たり前を疑い、素直であることは、ふだんから心がけていたけれど、それも少年っぽさの維持みたいなことで合点がいく。

ありがとう。自分のことがわかるって、なんて嬉しいんだろう。

でも、ぼくは恋人の「固有性」をうまく言い表わしてあげることは、まだどうもできなくて、言葉の仕事をしているのにごめんね、という気持ちになる。いま思うと、恋人の「観察力」は、類稀なるものなのではと感じている。

(ちなみに、「嫌いを克服しない」ことによるセンスの維持は、この対談に詳しいので、ご参考まで。)

https://kurashicom.jp/3038

#日記 #エッセイ #コラム

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