恐怖は頭でつくられる

お化け屋敷に行った。物心ついてから、初めてのことだった。東京ドームシティにある五味弘文さんプロデュースの「怨霊座敷」。恋人が五味さんのお化け屋敷のファンで、これまでも作られるたびに足を運んでいたらしい。

恋人が行きたがっていたので、という理由に勝るモチベーションなんてそうそうない。ぼくは努めて「いいねぇ」と乗っかることにした。32歳にもなってお化け屋敷を妙に避けているのも、どこかで格好がつかないというのもあったんだろう。

怨霊座敷は靴を脱いで進む。古びた住戸を模したアトラクションなので、足裏に畳のしっとりした感じや、キッチンのつるりとした床の感触が直に伝わってきて、その屋敷の本物感をより増してくる。

アトラクションは盛況で、たぶん20分そこらは待った。待つ間、遠くから聞こえてくる悲鳴や大きな音、予告映像のように目の前のモニターで流れる「怨霊座敷のストーリー」、それから恋人の「怖いかなぁ、大丈夫かなぁ」って期待の表れが、人生初体験のぼくを周囲からじわじわ攻めた。

恐怖は、自分が作り出すものなのだ、とおもう。

東京ドームシティに突如できたお化け屋敷に、本物の怨霊が宿るとは考えにくい。人為的なシステムに、やる気のあるスタッフたちの仕掛け。人間の恐怖心やお化け屋敷の面白さを熟知したプロデュース。

こんなふうに列挙すればするほど白けそうなものなのだけれど、考えるほどに恐怖が増してくる。頭の中に恐怖が生まれて、次の一歩、その次の部屋の展開を、勝手に大きく解釈してしまう。

恐怖を頭で大きくしてしまうのはお化け屋敷だけじゃなくて、日々のチャレンジも仕事のプレゼンも、文章を書くのも同じで、ひっこみ思案になる原因は自分が勝手に作っているのだろう。

さて、怨霊座敷。設定をかいつまんでいうと、婚約者に裏切られて殺された女が化けて出てくるという話である。彼女は畳の下に埋められているので、仕掛けとしても「下」に意識がいくわけだ。裸足の効果よ。

ただ、途中から裏切られた彼女のことが不憫で可哀想になってしまって、なにもそんなことまでしなくていいだろう!と殺した男に腹が立ってくる始末であった。とはいえ怖いものは怖く、恋人の両肩を後ろから掴んで、なるべく視界を狭めてやり過ごすような体たらくだった。

「すごい震えてたねー」と嬉しそうに話す恋人は、五味さんのお化け屋敷を楽しめたので紅潮したようで、ご機嫌だった。

「でも、今までで一番怖かった『赤ん坊地獄』がレベル10だとしたら、怨霊座敷は6くらいかな」

お化け屋敷の奥は深い。童貞を無事に捨てたので、ここからは探求できるはずと自分に言い聞かせながら、上野御徒町へ繰り出して韓国料理を食べて帰った。

ポッサムという、柔らかく煮た味付き豚バラ肉スライスと、細切り大根などが入ったキムチを、白菜の浅漬けにくるんで食べる。ヘルシーなサムギョプサルみたいな感じだ。揚々とマッコリを飲んで、恋人のお母様がお化け屋敷好きだったエピソードなんかを聞く。

#日記 #エッセイ #コラム

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