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執筆後記:マンション百年時代で「ソフトウェアな暮らし」を選ぶ(ダイヤモンド・オンライン/「ちきりん×島原万丈」マンションリノベ問題の対談に寄せて)

今回の執筆後記は、ダイヤモンド・オンラインでまとめさせていただいた、社会派ブロガーとして人気を博すちきりんさんと、LIFULL HOME'S総研所長の島原万丈さんの対談記事について。全5回で、現代の日本が「住」に抱える病理のような問題点も次々に浮かび上がっていく時間となった。

今回の対談は、ちきりんさんの最新著作に絡めてマンションのリノベ経験あるいはリノベーション業界についての内容を語ることになっていた。僕も事前に著作を読み、関心のあるところに付箋を貼るなどして準備をしていたが、実際のところ対談の内容はその想像を遥かに超えて、日本の住宅が抱える課題や、社会の意識まで到達していった。

今回の本では、ちきりんさんが新築で買ったマンションをリノベーションし、その内容をつまびらかにするというのが大枠のコンセプトだ。しかし、聡明で様々なことに造詣の深いちきりんさんであっても住宅やリノベーションはわからないことだらけだったようで、その都度解消していった、あるいは調べて対応していったことがわかる、非常にいい本になっている。

中古マンションをリノベする現実的な夢(の落とし穴)

今、賃金が下がっていたり、逆に家賃が高騰したりして「中古マンションを買う」選択肢は、都市生活者においては割と身近な選択肢としてあると思う。資金がないからこそ中古物件を選び、その中古物件を自分なりにカスタマイズやリノベーションするも、たしかに一つの流れになっている。

僕もこれまで、その選択肢を考えたことはあったし、友人にもそういう選択をしている人がいたので、なぜか漠然と「すごくアリなんじゃないか」と思っていた。僕は実家がマンションだったし、集合住宅で暮らすことは今でもずっと当たり前だったので、中古マンションとリノベーションの組み合わせは非常にわかりやすく、自分の夢を叶えてくれると考えていた。

ところが、ちきりんさんの本を読んだ後では、これがそんなにすんなり行く夢ではないことも思い知るのだった。そもそも都市生活者において、「家を知る」という機会の圧倒的な少なさは、考えなければいけないことだと思い知った。

多くの人にとってマンションは「賃貸する存在」で、賃貸物件は基本的に構造を含めて手を入れることはできない。そもそも画鋲で穴を開けることさえ、どこか後ろめたい気持ちがある。

これも対談の中に出てくる話だけれど、アメリカを含めた海外では、賃貸物件であってもDIYで家に手に入れられる国もあるという。僕もかつて、ライフハッカーというアメリカを母体にしたメディアの翻訳記事をたくさん作っていたことがあるので知っているが、本当に彼らは自分の些細な暮らしの不便などをDIYで解決する能力に長けているし、それだけの情報を欲されているというのもわかった。

それらを翻訳して記事にするたびに、「日本ではこれはできないなぁ」と感じることもしばしばあった。ただ、読み物としては好きだし面白いのでよく取り上げた。アメリカほど融通がきくDIYができるのであれば、もしかしたら少し、日本にとっても「暮らしやすさ」を考える機会があったのかもしれない。

自己責任論では話せないはずの「暮らしやすさ」問題

日本人にとっての「暮らしやすさ」は、おそらく既に決められた形の中でいかによりよく生活するかというのに、主眼が置かれてきたんだと思う。それは戦後の団地文化あるいは建売住宅、もしくはマンションという決められた箱の中で自分の生活様式を自分らしく表現するという、一種のブームに支えられていたようにも感じる。

ただ、それが悪いと言っている訳ではない。実は「与えられた環境で作る」という日本人の得意技や美学にも合っていたんじゃないかとも邪推する。

そして、この問題は決して自己責任論で片づけることはできないだろう。家を知る、家を考えるという機会が、基本的に与えられて育っていないのだ。僕は一応、小学校から高校まで出てきたが、住宅について学んだことはついぞ殆ど無かったように思う。

それは例えば、「住宅ローンの金利を考えて住宅を買う」という話ではなく、そもそも「住宅とは何か」「マンションとは何か」といったような概念、さらには建物としての構造までは全く知らなかった。

自分が暮らしているマンションで水道管がどのように通っているのか。窓の材質によってどの程度暮らしやすさが変わるのか。それらに考えを巡らすことが全くなかった。せいぜい、「この間取りは暮らしやすいのか」を自分の感覚で判断するぐらいしか住宅にとっての向き合い方がなかったのである。

しかし、しかし、これはどうしようもない事態な気がする。僕は東京生まれ東京育ちだけれど、おそらく地方も含めて、いざ一人暮らしを始めようと決めて、実家を出て、賃貸物件を借りる。そこで始めて「住宅」と向き合う。

僕も最初に選んだ家は真っ赤な外壁の木造アパートで、ロフトがあったから借りたけれど、ロフトなんて夏場は暑くてとても寝られないし、全く使えないことが本当に分かっていなかった。ただ、こんなことは想像することさえかなり難しいんじゃないか。

マンションには日本の未成熟さが表れている

あらゆることへの「知識のなさ」は当然、現在の情報環境であれば自分のせいとも言えるのだけれど、インターネットってそんなに万全じゃないし。検索ワードを持たない人間は、検索することさえできないというのが基本的なルールである。ロフトの素敵さや木造の難しさに、どれほど自分の身体的な悩みを持って当たれるかというのは案外に難しい点がある。

対談に話を戻すと、そもそも現在のような住宅環境になったのは「戦後から」という流れがあるのは非常に面白かった。高度経済成長期においてはたくさんの住宅を作る必要があり、また共通した暮らしを提供する団地が憧れになり、それらが文化的であるPRも効いていた。

しかしながら、それは一時のブームでしかないはずで、本当に家というものを誰も彼もが深くふかく考えることもなく、ひたすらに僕達は、いや、僕達の先祖たち含めて、縦に縦にと居住スペースを増やしていった。

この辺りは、対談の第4回に詳しい。ぼくは今回は対談をまとめる際に、編集者の方から「3回以上5回未満」に分けて配信したいという要望は貰っていた。何回に分けるかは任されていたが、実際のところ話の全てが面白く、切り分けてどうにか5回にまとめたという感じだった。

そのため、どの回からでも対談が読めるように仕立てているんだけれども、僕が一番グッときたのはやはり第4回だ。日本のマンション問題というのは、日本に民主主義が持ち込まれ、そのまま成熟していないという状況を表しているという、まさかの社会論につながる展開。これがしかも無理に繋げたわけではなく、非常に自然に出てきた話題だったので、より一層驚いた。

例えば、大きな問題はマンションを買うとは、その共同体の住人になるということでもあって、自分の部屋だけが良ければいいわけではもちろんない。共有部分の管理があり、老朽化に向き合い、共同生活を行う決意と覚悟が必要になる行為が「マンションを買うという選択」なのだ。

「タワマン、どうやって改善していくの?」問題

「タワーマンションをどうするつもりなのか」という問いも強烈だ。東京ではたくさんのタワーマンションが建っていて、憧れ的に消費されていると思うんだけれども、500戸あるマンションの管理をどうするのか。老朽化した後に、どのように改善するのかを、500戸全てでコンセンサスをとる方法が、どれぐらい考えられているのか。

あるいは修繕の優先順位において、日本の不動産バブルとして海外から投機的に買われている物件に対して、どのように説明するのか。投資として買う人にとっては、その物件は基本的に借り続けられたり売却しやすかったりすることこそが最も大事なのであって、はっきり言えば共用部分の管理というのは大きな問題にならない。しかし、そのマンションで住み続けることを選ぶ人にとっては、この老朽化は後に課題となる。

この点は、タワマンの事情を僕はまだ全く知り得ていないので理解を深める必要はあれど、年齢も暮らし方も目的もまちまちな人々が暮らすマンションという場において、一体どうやってコンセンサスを取っていくつもりなのか。その点が、はっきり言えば今回の対談からは答えが見えなかったのは残念だが、それぐらい難しい問題に僕らは直面しているのだ。

マンションを「一国一城の主」と言った人、あるいは思わせた広告たちは正直言ってセンスがあると思う。ただ、それは真の問題を隠してメリットだけを露出させるようなものであって、はっきり言えば褒められたものではないけれども、僕はコピーや広告を考えた人は、これはこれで日本の住宅感というものに対して何か新しいくさびが打てると信じたのではないかと、性善説ながらに思う。

人生だけでなく、「マンション百年時代」に突入する

昭和は全てが新築マンションであった。昭和を生き、平成になり、令和を迎え、耐久年数に耐えながら、マンションと僕は今日も生きている。

その状況下で、島原万丈さんは「マンションを建て替えるのは現実的ではない」という話もしてくれた。この指摘は、さて、何年後に問題が表出し始めるんだろうか。一軒家であれば築百年を超える物件に「味があっていい」なんて借りられることはあっても、百年を超えるマンションがどれぐらいあり得るのか。ほとんどの日本人が知らないまま、この国はマンション百年時代に突入していく。

人生百年時代を謳って、ビジネスパーソンたちはそれについての考えを深めているところだけれど、実はマンションも百年時代に突入しているのが面白いところでもある。

結局、住宅は賃貸すべきか、購入すべきかという問題に関して、僕は今のところ「賃貸すべき」という風にしか思えなくなった。それは簡単で、マンションという共同体に自分がどれほどコミットできるのか、修繕や改善や百年時代のマンションに対してどれほど考えなければいけないのかと思った時に、現状ではそこまでのパワーを割けないのが本音だ。

ソフトウェアのような暮らしを選ぶ

「与えられた部屋」に最適解を導き出すような暮らしの方が、まだ気楽である。先人が建てたマンションという名のインフラを直しながら住んでいく。そういう点では「ソフトウェアのような暮らし」とも言えるのかもしれない。ハードは変わらずともソフトウェアを最適化することで、より良いものになっていく。

まぁ、しいて言えば、スマートフォンと同じようなもんだ。iPhoneを作ったAppleになるよりも、iPhoneでいかに良いクリエイティビティを発揮するか。そういうことだと考えると、実に今っぽいとも言えるのかもしれない。

ただ、中古マンションを買うという選択肢、リノベーションをするという選択肢について悪く言うつもりはない。ちきりんさんも、それは本で書いているけれども、リノベーションというのは自分にとっての暮らしやすさを非常に高める行為だとも言っている。

この世に自分と合う物件がない、自分にとって暮らしやすい環境がないと思うのであれば、そのあたりのリスクを込みで考え、選ぶというのは非常にありだと思う。結局は、暮らしにまつわる経済というものの、何か言うなれば「無理」みたいなものが表出しているのかもしれない。

僕たちは一国一城の主とか、お得なリノベ生活でとか、色んな言葉に振り回されながら、どこに住むか、いかに住むかを考えないといけない。

ついに取り残された「住」のアップデート

それは本当の意味で、いかに生きるかというところに、衣食住の「住」が深く関わってきたともいえる。当然に会社で働く時間の方が長いかもしれないけれども、家族と住み、子供を育てる、そういう環境の中に「住」というものが大きい存在であるのには変わらない。日本人は住宅に関しての捉え方うを、ごっそりとアップデートしなければいけないのかもしれない。

衣服は圧倒的なアップデートを見せたと思う。安価で高機能で、デザインが良い服が手軽に買えるようになった。食については既に廃棄の方が多いという状況を鑑みれば、これはもう素晴らしい進化だと言えるだろう。

人間にとって残る「住居」というものが、本当にアップデートすべき対象なのかもしれない。願わくばもっともっと前の段階、義務教育も含めてだけれども、住宅について考えるべき、教えることは多いんじゃないかと思うのだ。つまり、住居を考えるということは、社会を考えることにも直結する。

今回お声がけいただいた対談は、単なるリノベーション論に収まることではなくて、僕たちと住宅と社会をつなぐ最初の接点になる。できるだけ読みやすくまとめたつもりなので、ぜひ一度、お時間のある時にでも読んでもらえたら嬉しいです。

全5回のまとめページは下記より。

“数ヶ月前の自分の仕事に背中を押される”に出会う

ここからは、余談だ。

今回の仕事、もともとは編集担当の方からTwitterのDMで依頼が届いたのが始まりだった。突然の連絡に内容を確認してみると、ちきりんさんの最新著作『徹底的に考えてリノベをしたら、みんなに伝えたくなった50のこと』が出るのに合わせて対談を企画しているので、その構成をしてほしいという依頼だった。

私はその担当編集の方は面識がなく、DMが最初のコンタクトだったのだけれど、仕事の内容や掲載媒体の条件もしっかり提示されていて非常に好感を持った。その担当者さんは、返信も素早くやり取りもスムーズだったので安心できたし、何より僕がこれまでにやってきた、対談構成の仕事を見て依頼をかけてくれたというのがとても光った。

「以前からクラシコムジャーナルの記事を見ていて、いつか一緒にお仕事をしたいと思っていました」と言ってくれたその一文は、後に会った本人の印象からしても嘘ではないようだし、仮にセールストークだったとしてもそれを感じさせないような好印象の方だったことを今でも覚えている。

後日、担当編集さんがFacebookに記事をシェアする際に「会話を物語にできるライター」として紹介いただき、そのネーミングはものすごく気に入っている。ご許可も賜り、今後使っていくつもりです。

姫乃たまさんが「数ヶ月前の自分の仕事に背中を押されるなんて不思議だ。ひとつずつ誠実に仕事をしていけば、それらが忘れた頃に私をどこかへ運んでくれる。」と以前に日記に書いていたけれど、まさにこのことか、と嬉しくおもった。

こういうことが細かく細かく実は起きているんだと思う。例えば、仕事のリピートをくれる方だったり、誰かが誰かを紹介してくれたり、そういうことが実は細かく送っているんだけれども目に見えて久しぶりに実感できるという点で、全く接点のない方からの仕事の依頼というのはわかりやすい。

逆に言えば、ウェブの記事を書いて生計を立てている自分にとって、記名記事や情報の公開は、やっぱり地味に大事なのだと実感した。

▼これまでの執筆後記


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