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「誰よりも頑張る」を失った僕の絶望と光明

ご無沙汰してます。
ヤマチクの3代目、山﨑彰悟です。

家業に戻って10年。
竹のお箸を普及させるため。
関わる人たちに少しでも「やりがい」を感じてもらえる仕事にするため。
自分にできることを一生懸命やってきました。
それが特に苦になることなく、楽しくやってたつもりです。
しかし今、心身ともにすこぶる体調が良くないです。
僕のSNSをご覧の皆様は薄々感じてらっしゃるでしょう。

※閲覧注意
ここから先は読む人によっては気分を害する内容が書かれています。



実は現在、僕はパニック障害とそれに伴う躁鬱症状の治療中です。

わざわざいうことでもないのですが、隠すことでもないので。書くことで客観的に見れるのではないかというアドバイスもあり、自分のために書いてます。

何より「から元気」よりも、皆さんに知っていただいた方が楽だし。
2月から3月に向けて人と会う機会が増えるので、合う人には変に気を使って欲しくなくて。

自分はこういうことメンタルヘルスの不調とは無縁だと思っていました。

2023年1月13日(金)、東京出張を終えて帰路に着く羽田空港。
それは突然やってきました。

急に襲ってきた動悸と吐き気。
訳もわからず流れる涙。
死ぬほどの恐怖を経験しました。

その後かろうじて帰宅し、その翌日に病院に行き診断を受けました。

原因は、過労ではないかとの事。
医師からは長期休職を強く勧められました。

しかし既に入った打ち合わせや出張、イベントがたくさん。
特に「アトツギ甲子園」や「いす-1GP」などビックイベントが。
投げ出すことに抵抗がありました。
医師の相談の上、最低限の投薬治療をすることにしました。

しかしこういう状況で働くのは想像以上に辛かった。

手帳やメールを開く度にに突然襲う、不安と動悸。
今まで簡単にできてきた事が急にできなくなるもどかしさ。
その不安感と焦燥感を抑えるために飲む薬で感じる眠気と倦怠感。

幸い人と会う打ち合わせは、気を張っているせいか、いつも通り(と言うより躁の状態)対応できるのですが、その後は反動で地獄のような疲労で動けなくなります。

日に日に下がっていく自己肯定感。
周囲の目にも怯える日々。

あんなに楽しかった仕事が徐々に恐怖の対象になっていきました。

みんなが一生懸命働いている時間に、ただぐったりとうずくまっている。
そんな状態が続くと、自分の存在意義は何なのかと泣きたくなりました。

家業に戻った24歳の頃。当時ぶっちぎりで年下

「人を動かすには、誰よりも一生懸命働くしかない」

信頼獲得に必死だった僕はこの言葉を胸に10年走り続けてきました。
成果も少しずつ出て、認めてもらえる実感があった。
それが私の自信につながってました。
なんならアイデンティティと言ってもいい。
しかし今は大した働きもできない。そんな状態が何よりも辛い。

なんのための10年だったのか。
こんな自分に価値があるのか。
毎日のようにこの疑問が重くのしかかり、動けなくなってしまう時があります。

しかしその一方で、今までの働き方を見返す機会になりました。

「もうこの働き方には限界がきてる」

「実は企画立案や構想は得意だけど、それを実務に落とし込んで実行するのがめちゃくちゃ苦手」

「社員が同じ目に合わないよう、会社としてメンタルヘルス対応をしっかりしよう」

少しずつですが、新しい働き方、人生との向き合い方もアイデアノートにまとめてます。

それにこの間、改めて社員さん達の有難みを感じました。
僕がベッドで何もせずぐったりしているこの瞬間も、竹のお箸が世の中に生み出されている。
「食わしてもらってんなぁ」と。
この人達にちゃんと恩返しできるようにまずは体調を戻したいなぁと。

2月中旬までの予定がひと段落したら、2月末はお休みをもらおうと思っています。
まだまだ迷惑をかけてしまいますが。

あまり気を使わず、温かく見守ってもらえると嬉しいです。

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