『銀河英雄伝説』キャラ雑感:公明正大なるミッターマイヤーには、世界の半分しか見えていなかった

 銀河英雄伝説において、人望厚く公明正大で正義感溢れる好漢と「設定されている」男と言えばミッターマイヤーである。わざわざ「設定されている」と書いたが、筆者は彼に全面的な共感をもつことがなかなかできない。(というか端的に少し嫌いなのである)。おそらく世の中にも僅かにいるであろうミッターマイヤーへの違和感を覚えてるアンチ層の留飲を下げるために、その違和感の正体を論拠を示していこうと思う。だがしかし、最後には、これらの違和感も含めて彼を評価していきたいとも考えているので、ファンの方も安心して読んでほしい。ミッタマかっこいいよ!かっこいいよミッタマ!


すぐ他人の陰口を叩く男、ミッターマイヤー

 筆者の中では、正義感溢れる男は陰口を叩かない。だがミッターマイヤーは隙あらばロイエンタールと組んで「あのオーベルシュタイン」と陰口を叩いている男である。というか基本的にロイエンタールと会えばオーベルシュタインに対する陰口しか言っていない(!)。え、もしかしてそんなに気になるってオーベルシュタインのこと好きなの?ヤダ先に言ってよ…。
 さらに他の帝国大将も交えて高級士官用のバーで徒党を組んで悪口言い放題。あげく後半では反逆を起こした親友ロイエンタールを弁護するために「オーベルシュタインがいるのが悪い。更迭しろ」と讒言をラインハルトに吹き込む始末。公明正大とは、自分の正義感で徒党を組んで陰口をたたき、1人のはぐれモノをつるし上げることではない。
 片方で彼が蛇蝎のように嫌うオーベルシュタインは陰口を言わない、徒党も組まない。彼は常に一人で、ラインハルトにも他の帝国大将とも渡り合っている。どちらが果たして公正で私心がないか、火を見るよりも明らかである。ついでに恩師であるシュターデンについても、「理屈倒れのシュターデン」と小馬鹿にしている。前半は特に自信満々で不遜なところがあるのである。


敵対者にも恩は報いるという礼節を知らぬ男、ミッターマイヤー

 筆者の中では、公正な男は、敵対者とはいえ、恩には報いるものである。だがどうだろうか。キルヒアイスの死後ラインハルトが士気を阻喪し、ローエングラム陣営が方向性を見失っている時に、彼らが意見を頼ったのはオーベルシュタインである。そして「リヒテンラーデ公を粛清する」という献策をした彼に、ミッターマイヤーは「卿を敵にはまわしたくはないものだ。勝てるはずがないからな」と嫌悪感をたっぷりまぶしてのたまうのである。嫌っていた相手による、好みに合わないアイデアだとしても、起死回生の献策をした功労者にいう台詞か、これが
 しかもオーベルシュタインは、ミッターマイヤーも引き受けられなかったアンネローゼへの報告役も引き受けているのである。さらにリヒテンラーデ公の粛清に陣頭指揮を執ったミッターマイヤーはその後、リップシュタット戦役全体の功を労われ上級大将に昇進している。
 ①キルヒアイスの死の遠因を作ったのがオーベルシュタインとはいえ、ミッターマイヤーは②教えを乞うたオーベルシュタインの献策により、③自身達の陣営の窮地を脱し、④最終的には昇進までしているわけであり、②~④の恩を①で差し引いたとしても、一応形式的でも礼をのべてもいいはずだ。しかしその描写は無く、相変わらず悪口三昧なのである。


「この疾風ウォルフ」とやたらと自信家なミッターマイヤー

 他人の悪口を言いふらす他方で、ことあるごとに「この疾風ウォルフ」「この俺」「俺としたことが」と己に対する強い自信をのぞかせるミッターマイヤー氏である。『帝国の双璧』と呼ばれる彼であるが、どうも筆者には彼が強敵を倒して武勲をあげた、という印象がない。ここで本編開始後の彼の戦績を確認してみよう。なお相手が好敵手以上の勝利なら評価はB以上としている。

・アムリッツァ前哨戦:アル・サレム艦隊撃破→相手が雑魚   評価C
・アムリッツァ会戦:ヤン艦隊により損害を負わせられる    評価C
・リップシュタット戦役:シュターデン艦隊撃破→相手が雑魚  評価C
・リップシュタット戦役:オフレッサー捕縛→2人がかりで辛勝   評価B
・リヒテンラーデ公捕縛:オーベルシュタインの策に乗っただけ 評価C
・要塞対要塞戦:雑魚艦隊をロイエンタールと2人でフルボッコ   評価C
・ラグナロック作戦:フェザーン侵攻→軍事力がない星の占拠  評価C 
・ランテマリオ星域会戦:旧式混成のビュコック艦隊に大苦戦  評価D
・バーミリオン星域会戦:ハイネセン制圧→単にヒルダの策   評価C
・マル・アデッタ星域会戦:圧倒的多数でビュコック艦隊に勝利 評価C
・回廊の戦い:ヤン艦隊に苦戦。旗艦ベイオウルフ被弾。    評価D
・第二次ランテマリオ会戦:勝利。本人も認めるようにロイエンタールに完勝したというよりも、相手側に真の味方が少なかった敵失が原因。評価B
・シヴァ星域会戦:功績無し。評価C

銀河英雄伝説 本伝における戦役から整理

 意外に思われるかもしれないが、上記のようにミッターマイヤーが「名将レベル」の敵に対して、明確な武勲を得た描写は少ないのである。明らかに雑魚設定された敵に勝っているだけで、これは実力というより『帝国の双璧』作者補正の範囲内である。オーベルシュタインに「実績無き者」と扱き下ろされた「奇跡の人ビッテンフェルト」の方がよほど武勲が多い(失態も多いが)。ミッターマイヤーが「この俺この俺」いう度に、「お前は作者に下駄を履かされてるだけだろうが!」と思ってしまう。 

 しかし『帝国の双璧』設定に比して少なすぎる実績は、不自然ではある。それはなぜだろうか。ミッタマイヤーを弁護すると、彼を活躍させすぎると話が終了してしまうからである。よく指摘されることだが本作品は序盤に同盟軍の人材を枯渇させすぎている。アムリッツァ会戦直後に同盟軍にろくな人材がなく(艦隊指揮官としてはヤン、ビュコック、アッテンボロー、最終盤のユリアンぐらいだろう)、ミッターマイヤーに彼らに一人でも撃破させると同盟があっという間に滅亡してしまう。だから好敵を少し脅かす程度の能力=「用兵速度が速い」「堅実」しか有能さをアピールできる描写がなくなってしまった。「さすがミッターマイヤーは名将だ…つけいるすぎがない」と対峙した敵からは認められる。だが、それだけである。『名将を打倒したか」という観点で実績を評価してみると、意外にしょぼい。そう、ネームドキャラを劇中でほとんど撃墜していないZガンダムにおけるクワトロ・バジーナのように。


後進にマウントをとるミッターマイヤー

 中盤を越して自身の地位が確立した後に彼は、後進の将校らに対する上から目線のコメントが多い。『若い連中の間にどうも妙なところで目立とうとする風潮があるようだ』『近頃(自分たち)大将以下の人材に精彩を欠く』などである。武勲を真っ当に立てた世代としての自負が言わせるのであろう。

 しかし、これは『物語の都合上の勝ち組世代』のマウントでしかない。作劇上、物語前半はラインハルトを出世させないといけないため敵を倒す機会は多くなり、従うミッターマイヤーらの活躍機会も多く(しかも相手は雑魚)、彼らは順調に出世していく。だが作品世界内の中~終盤にかけては同盟はほぼ瓦解しており、「手柄となる敵は狩りつくされたあと」である。さらにメタ的な視点でも、話が手じまいに向かっているのに、優秀な新キャラに暴れられても困る。つまり若手の将校たちが仮に優れたポテンシャルを備えていても、作品世界内レベルでもメタレベルでも活躍できる芽は摘まれているのである。物語の役回り上、彼らの次の世代は、古参の将校たちの引き立て役としてか出番がない(トゥルナイゼンやグリルパルツァー…)。

 ミッターマイヤーは話運びの都合によるバブル世代なのに、”手柄ロス”ジェネ世代にマウントとって慨嘆してるだけなのである。老害感丸出し、と思うのは気のせいだろうか。

男の友情は公正に勝るネポティズムのミッターマイヤー

 公正さを売りとするミッターマイヤーは大貴族相手には「門閥貴族どもめ!」とそのネポティズム(縁故主義)を切りまくっていたが、ことが親友ロイエンタール氏におよぶと、コロッと手のひらをかえして、友情>公正になってしまう
 例えば、リヒテンラーデ侯爵の一族の末裔の娘エルフリーデを「権力と暴力でものにした(レイプ)」と語るロイエンタールを、ミッターマイヤーは苦々しく「そう言い方はよせ」でいなして済ませてしまう。軍規に違反した者を要所要所で銃殺・処罰する彼の公明正大さは、親友の前では急に萎んで酒の肴になってしまうのだ。旧敵勢力の大貴族の娘ならばレイプされてもよいわけでもないし、帝国提督ならばレイプは罪にならないわけでもない。しかし、親友ならば免罪されてしまう。「男の友情」>「公正」であることを示した問題のシーンである。
 次に、ロイエンタール反逆に関する義憤を募らせ、ラングに銃をむけた件である。直前にケスラーに止められているが、このシーンで男をあげているのはミッターマイヤーではなく、彼を明晰な法の論理で宥めたケスラーの方である。ケスラーに見過ごされて不問に付されたが、ミッターマイヤーが行ったのは庁舎内での殺人未遂である。ここでも「男の友情」>「公正」である。世が世なら浅野内匠頭よろしく切腹である。

 ミッタマイヤーが「バカどもめ!」と罵っていた貴族たちだって、個々人としては「自分の愛する家族の栄誉や平和」のためにその権力を使ったり私財を蓄えていたのだろう。ミッターマイヤー自身は経済的には清廉であったが、その公正さは常に「男の友情」に揺るがされるものであったのも事実なのである。


ミッターマイヤーには世界の半分しか見えていない

 作中でミッターマイヤーは作者の考える公明正大さを体現する人物として描かれている。ここでは短所ばかりあげつらったが、彼の言行は概ね良識的なものであり、本作品の幕引きを引き受けるに相応しい人物だと筆者も思う。しかし、上記のように「?」と思う部分も地一切かなりあるのである。

 だが人間なのだから多少の欠点はある、という擁護の意見もあるだろう。それもそうである。だがしかし、問題は彼の意識に「自らの正義や行動」に対する疑念がほとんど存在しないのではないか、ということだ。ミッターマイヤーは自分が正しいことを正しいと思っているが、その「正しさが公明正大すぎて狭い」ということに気づいていないのではないかと思う。

 だからこそ、彼には自分の価値観に照らし合わせて、オーベルシュタインやラングが許せないし、親友であるロイエンタールの苦悩もついに理解しえない。彼はあくまで温かい家庭で健やかに育ち、優しい妻を娶って、作者にゲタを履かされた環境で幸福に日の光のなかで生きてきた人間である。自分ではどうしようもない不幸な境遇で育ったり、自身の中にうずまく様々なネガティブな感情を抱えながらどう生きていくか、という苦悩については、ミッタマイヤーの思考の及ぶところではないのであろう。自分の正義感の中に留まって、相手の事情や立場に思いをいたらせることも話を聞くこともないため、いつも「おかしいではないかッ!」か「貴君らしくもない」と正論を吐くだけになってしまう。うん、友達になりたくないね。(第二次ランテマリオ会戦後のオーベルシュタインが、親友であるロイエンタール討伐の任を引き受けたミッターマイヤーの心中についての解釈をつい漏らしているのと対照的である)。

 そのような意味で、ミッターマイヤーには世界の半分しか見えていない。彼は正しく、太陽の光のように公正であるが、その見識や想像力はやや硬直的で、日の差さない陰の世界の心情や哀切は、彼の想像力の埒外にあるのだ。しかし、周囲がそのことを指摘することはなく「正しさ」を最大限体現していると作中世界で認識されている。そのギャップが筆者が抱く違和感の正体なのだ。


ミッターマイヤーが物語を締めくくる存在として湛えた哀切

 ここまでミッタマイヤー氏についての違和感を書き連ねてきた。しかし「公明正大で光の中にいるがゆえに平板なミッタマイヤーの人格」は、最終盤にきて、一種の複雑な陰影と魅力を湛えることになることを添えておきたい。
 ロイエンタールは自身がもつ陰の要素にひきずられるように、ラインハルトへの反逆を決意し、そして親友であるミッターマイヤーに討たれることになる。友情を温めあった二人であったが、本質的に陽の人であったミッタマイヤーには、陰の人ロイエンタールのことをついに理解しえず、そのことによって彼は親友を自身の手で討ち取ることになってしまったのである。そういう意味では彼は、彼自身の長所であり最大の限界を、親友の死という形でしっぺ返しとしてくらったといえる。公明正大で日の光の中をまっすぐ歩いてきたはずの彼が、その歩んできた道ゆえに、自身の最も大切なものの1つを失う結果になった、という悲劇が本作の泣かせどころなのである。
 しかし、この後のミッタマイヤーの人格には、挫折を経験したものにしか付与されない陰影が加わることになる。印象的なのは、引き取ることになったロイエンタールの息子に対する愛妻エヴァンゼリンによる名づけである。これまで二人の間には子どもはおらず、そして今後も授からぬであろうことが予感される中で、エヴァンゼリンはずっと我が子のために温め続けていたであろう名前<フェリックス>を赤子に惜しみなく与え、ミッターマイヤーもその気持ちを受け止めたのである。ついに望むもの(子ども)を得られなかった人間が、親友の死を通じて子ども得る。人間という存在の運命の不条理さと哀切、そして温かさと慈しみが、新しい無垢な生命の中に統合されていく名シーンである。
 ここにきて陰と陽の両方の性質を統合したミッターマイヤーは、この長大な物語全体のラストシーンを締めくくる存在としての資格をうることになる。銀河英雄伝説は、専制政治と民主政治、人間の善と悪、陰と陽、清と濁の長大な争いをスケールで描いてきた作品であり、これを締めくくるには、その全てを収めるスケールのある存在が必要だった。それができるのは、上記の「資格」を得たミッターマイヤーの他、誰がいるだろうか。

 筆者はミッターマイヤーの描写における80%の公明正大さを裏切る15%の問題点について列挙してきたが、最終盤に5%の陰影のある魅力もまた無視することはできないのである。誰がこの話の幕を引くのに相応しいのか、と問われれば、それはこの統合された存在としてのミッターマイヤー以外にはないだろう。彼を嫌いながらも、やはりそう思わざるを得ないのである。


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