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第一章 国家の起源について


第 一 章

国 家 の 起 源 に つ い て

原始、男と女がいた。着の身着のままに恋に落ち,開墾と牧畜を経て,子を生み育てた。

やがて子は成長し,父母の財産を相続した。子はまた,恋に落ちて子をもうけ,父母から継いだ財産を毀損させることなく再び子に相続させた。

こうして,財産は減ることなく増加の一途を辿り,その血筋は数世代を経て広大な土地と沢山の家畜を所有するに至った。

これらの土地と家畜を当初は親子兄弟で守っていたが,やがて周囲の人々を雇い,土地を守る兵士や土地を耕す農民とした。

その報酬として,兵士と農民に食糧と家屋を提供した。これらの土地からつくられた作物と家畜の肉と乳を食糧とすることによって,新しい命が多く生まれた。臣民の誕生である。

このような過程を経て支配地域を持つ家族が増えると,耕作用の水源や牧草地を巡って戦争が起きた。

この戦いは,どちらかの家が全滅するまで戦われることもあったが,やがて,不毛な戦争よりも和議を通じ,結婚なる契約によって二つの家が結びつき,生まれた子どもは二つの家の財産を全て相続した。

こうして,国家が誕生したのである。

そこには,血と血の結合を伴う契約があったのであり,血を伴わない契約は無かった。

ロックは,国家の起源を人民相互の契約と統治されることの同意によって説明した。

その主著『統治二論』の前半部分には,フィルマーの王権神授説へ対する批判に多くを割いている。だが,人間の理性のみによって為された契約は,契約違反に伴う制裁がなければそれほど重い意味を持たない。

既にそこに国家があり,契約に違反した際の可罰あってこそ,理性のみによる契約は効果を有する。

これは,今日において可罰的ではない契約が遵守される蓋然性が極めて低いことからも言い得よう。現代に比して,原始人が理性的であったとする理由は無い。

従って,理性のみを基礎にした契約によって国家が成立したとする説明は空疎であるとの批判を免れない。契約を遵守させる強制力を持つ国家が先に存在しないからだ。

一方でフィルマーは,その主著『パトリアーカ』で,国家の基礎となる王権は神から授けられたと主張した。

神から授けられたとの表現は文学的であるが,最初の人間とされるアダムから諸権利を相続し,それが子孫累代に渡って連続したことによって王権が生じたとする説明であると解する以上,そこに不合理性は無い。


何故ならば,人間の本能に照らす限り,自らがその意志で性交を望み,愛する女を懐胎させ,そして生まれた子どもの成長と福祉を望まない者はいないからだ。

子どもが成長し,また子どもをつくることは遺伝の踏襲であり,生物の存在目的である。

従い,その目的を果たす上で有利と考え得る一切の補助を為すことは,生物としての目的そのものである。

他の種族と違い,人間はいくつかの特殊能力を持つため,理性や経験則を意志の実現のための手段に出来る。

その意志とは,種の繁栄に他ならない。生存への意志を実現するため,人間は理性と経験を手段として使う。理性そのものを目的とすることは不可能である。

フィルマーの『パトリアーカ』とは,ラテン語で「一族の中の男性の長」の意であり,被統治者と血のつながった男性指導者をあらわしている。

現代おける選挙とは理性的であり経験的であるが,そこに血縁的紐帯は無い。勿論,血縁的紐帯を有するといっただけで指導力を有することはなく,同じく,理性と経験を有するからといっただけで統治が成功することも無い。理性と経験には,意志を伴う高貴な血による認証が必要である。それが,統治される側の同意を形成する。

だからこそ,今日の日本社会に於いても,閣僚,検事長や各省事務次官,大使に至るまで,高貴な血筋による認証が求められる所以である。人々は契約によって同意するのではなく,高貴な血によって統治されることに同意する。
被統治者が統治されることに納得するためには,共に在り続けることで結局は自らの血脈の生存を有利にできるとする必要性が求められる。

意志と血縁的紐帯は,ここでは同義にみなせる。

この意味で,会社法人の定款のごとく,血を欠いた契約のみによって国家が成立したとする説明には,疑義を容れざるを得ず,詭弁である。

国家とは,土地と国民を統べる概念であるから,次世代なくして国家は成りえない。

そこに次世代が不存在であれば,どのようにして国家は存続するのだろうか。

有史以前の記録の無い時代を分析するとき,現代の人々の行動から遡及して事物を考えるべきである。

国家とは,尊い血筋の家柄を中核とし,その家柄と結びつきを有した無数の家族によって構成され,この血を基礎にした契約によって成立する。

国家における契約とは,現世における人民相互の契約ではなく,子孫と祖先の関係に於ける契約である。

この意味では,近代日本の当初,明治天皇が紫宸殿に於いて五箇条の御誓文と今日称される契約を皇祖へ対して為されたことは,国家の起源を理解する上で最も分かりやすい形であるといえよう。

人は意志を有する限り,自らの意志に逆らうことはできない。

どのようにして,愛すると自ら誓った女を見捨てることが出来ようか。その女から生まれた子どもを遺棄することが出来ようか。この連続によって継がれ続けた血を裏切ることが出来ようか。

ロックは子どもがいなかった。また,理性の信仰者であるルソーは,知的障害者の女を幾人も孕ませては子どもを産ませ,その子供をすべて孤児院へと入れた。

人間からしてみて,このような行為を看過し,このような行為者による統治を受け容れることができようか。

それが,人間性というものである。だからこそ,フランス革命後には,陰惨な殺人が連発し,ルイ王朝の統治下とは比べ物にならないほど,公秩序が乱れた。

時間軸において,現世に於ける横の契約ではなく,過去と未来に於ける縦の契約こそ,人を理性や経験以上に拘束する。横の契約は,刑罰といった物理的な制裁無しには遵守され得ない。
従い,国家の起源を契約に求めることは誤謬であり,是認し得る理由が無い。

国家の起源とは,男女が恋に落ち,子どもをつくり,その子にすべてを相続させたことから始
まった。

恋とは,現在における情動であるが,愛とは時間軸を含む意志である。愛があるからこそ,相続をさせ,愛する女から生まれた子が不自由なく繁栄を享受できるように願う。

だが,愛が無ければみだらな性欲によって生じた子を捨てることだろう。

バークが,主著『フランス革命の省察』に於いて,相続に事欠けば人間はひと夏の蝿と変わることが無いと述べた所以である。

このようにして,愛の有る家族と愛の有る家族が対峙したとき,初めて財物の移動を伴う家と家の契約,すなわち結婚が為され,この連続によって,祖先と子孫の時間軸が完成し,人間の意志を堕落から守り,国家を維持する。

理性ではない。人間の意志による愛こそが,国家の起源である。私たちはそれを愛国心と呼ぶ。

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