移住理由の耐えなれない軽さ。

去年一年で私は3回引越し、1年後の今、またも引越しをしようとしている。

去年は東京(池袋)→東京(新宿)→京都。

今から、京都→沖縄。

京都に来たタイミングでリモートで働けるようになったので、仕事のための引越し、ではない。また、地方再生事業を興したい、とか、田舎にこもって農業をしたい、というような理由でもない。

移住理由は、なんとなく、だ。

東京にいたころは、仕事の往復以外に休日に出掛けるところといえば物書きをするためにいくスターバックスくらい。

京都に来てからは、いくところといえばリモートワークなので仕事と物書きをするスターバックスくらい。

あれ、スターバックスしかいってねえじゃん!

ということに気がついてからは、なんとなく気持ちが軽くなった。

去年沖縄のとある離島に旅行でいってから、青い海と、ゆったりとした空気、またその砂浜で走り回る子供達をみて、ここでなら、なんとなくだけど、家族を養うこともイメージできそう、楽しそう、という漠然とした期待をもてるようになった。

私の夫が沖縄の人なので、もちろん沖縄がいい!住んでみたい!という感覚にはバイアスみたいなものがかかっているのだろうけど。(あと、沖縄にはスターバックスがあるので、南国で結局スターバックス通いをすることになる危険性は高い。)

何かをするときに、その行為をする意味って、きっと大事な人にとっては大事なのだと思う。必死に親御さんを説得したり、周囲の人にわかってもらう必要がある人はあるだろうし。

でも、究極的には、人間はそのときに自分の気持ちがなんとなくこっち、と思ったら、もうあとはその気持ちに従うか、我慢してその気持ちを理性で押し殺していくかしか、方法はないように思う。誰かを好きな気持ちに、ストップはかけられない – そんな感じ。

あそこに行ってみたいなあ、と思ったときに、行きたいと思った、以外の説明や、理由は、本来後付けでしかないはずなのだ。よーいどん、が掛かったら、いつでも駈け出す準備ができているような、そんな人生が私は好きだ。

と、いうわけで、これからは沖縄になんとなく引越しします。そして、そんなライフを少しでも多くの人にnoteでお伝えできたらなあ、と思います。

また次回!!


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