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何故、日本軍が南京攻略へ向けて進軍したのが駄目なんだろうかね。 では、イラクの首都を陥落させてイラクの政権を破壊したのに、何故アメリカを初めとする多国籍軍は【戦犯】として裁かれないのかね? 講和が成立しない以上は、攻略するのは自然行為。日本軍のみ駄目だというのは悪魔化に過ぎない。

答えは凄く簡単で、1937年の南京事件に関連して【虐殺】を立証せしめる画像など存在しないからですよ。 当時が南京攻略戦という戦闘だったので、欧米人が撮影した画像も単なる戦闘か巻き添えかの【遺体】に過ぎないからです。 【南京大虐殺】など【戦時宣伝】に過ぎないのです。

1937年の上海事変から南京攻略戦に欠けて、ほぼ不眠不休で日本軍の前線は駆け抜けてさらに戦闘を行って勝利している。この事実は、日本軍が強かったのではなく当時装備に勝っていたはずの中国軍の士気が極端に低く余程ショボかったのだろうと思えてくる。

南京攻略戦に参加した主力の第16師団の師団長 中島今朝吾によると、12月3日の日記で、兵站の補給の見込みが立たない状態では南京攻略へは無理に向かわないと記述在り、そして数日休憩を取って、見込みが立った状態で出発している。この人物の言及のは勉強不足による妄想に過ぎない幼稚な思考。

ホントにねぇ。近代史を知る上では、これを知らないと話にならんのですわな。実は、支那事変での【南京攻略戦まで】は、ナチス・ドイツ軍(支那派)対日本軍という側面を忘れてはならんのですな。 もの凄く流動的に敵味方が分かれたという複雑な時代だったのです。

1937年の南京事件について書かれた推薦図書

【本次南京攻略の実績に徴するに婦女暴行のみにても百余件に】 現代訳にすると【今回南京攻略の状況を照会すると婦女暴行のみにても百数件とあり】 まぁ、僅か陥落から7日目の占領施策も始まっていない中で起こったとして居ったようだが、実際の所これって欧米人の【抗議情報】によるものですわな。

『アサヒグラフ』第30巻第12号(昭和13年3月23日 発行 P.23)なので、何時撮影されたかは定かではないのですが、南京攻略戦後での好きな写真の一つです。どことなく緊張感があるものの日常に戻りつつある風景で、幼児が父親をお手伝いしているように見えます。

欧米の諜報機関(武官)や外交官のネタ元は米国宣教師。日本の外務省も同じ。 つまり発信元は一緒なのですな。因みに内閣情報局は【戦時宣伝】と見て、【戦時宣伝】の解説書を集めてます。軍部は防諜機関(通称ヤマ機関)を開設。 把握内容の分析は同じではない。

まぁ、ネットをやり出した頃、共産主義・社会主義系の反日・侮日の方々から、ネトウヨ(勝手にレッテルを貼られ)は、本を読まない。知識が全く無いなどと良く言われたものだが、今や少なくとも1937年の南京攻略戦の『南京事件』関係の書籍で、当方を越えるものに会えた試しがなかった...

1937年の南京事件(当方はこの言葉は余り使いたくはない)について、清水潔氏の書籍のみか、ネット中の【加虐史観】のサイトを流し読みするだけで、語る方が多いような気がするねぇ。ゲームのRPGでの主人公が1レベルで突然100レベルのエリアに飛び出すようなものだと思うのだがねぇ。

榎本博明著『記憶は嘘をつく』

1937年の南京事件を思う。

1937年の南京事件というのは、南京城陥落後に城内に居た5名のジャーナリストってのが、陥落後の3日後に南京を脱出した後、それぞれ記事を自身の会社に電信で送ったのが始まりなのですな。実はね。こそっと教えるのだがね。その中の【外国人目撃者達】ってのは、【存在しない】のですな。

南京事件について語る方ってのは、【殺害】が【加害】と勘違いして居る方が居るようなのですな。これは【国際法】を中・高で正しく教えられてないってことじゃないかねぇ。 戦前と戦後は【国際法】が【内容】に【違いがある】ってのを知らないのですな。

NHK高校講座日本史の2017年版の理解ノートみたいなのだがねぇ。 恐らく第2次国共合作と入れさせたいのだろうがねぇ。こういう【加虐史観】の教育は、【時系列】ってのを知らないのかわざとなのか。ヤレヤレだねぇ。