平尾知子

変化は好きですか?

私たちが子どもだった頃、知らないことがたくさんで、初めてのことには戸惑いながらも好奇心の方が勝り、行動していたのではないでしょうか。

安定を好むのは、生命の維持を優先するという生物の定めのようなものですが、自然界は変化することが自然なので、変化を拒んでいると不自然な状況になってしまうものです。

成長とともに、肉体的にも精神的にも私たちは変化するのが自然です。

これまでの経験を自分自身がどのよ

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私のライフシフト⑥ 100年時代の人生戦略

これまでの話を少しまとめてみると、20代前半は自分の適性を探しながら興味の赴くままに学び、後半ではそこで学んだことを実践して、複数の企業と、社員や請負という形態で仕事をさせていただきました。

実は、10代の頃、描いていたライフプランが、20代は遊び、30代で育児、子育てが一段落したら40代後半でまた仕事、55歳までに財産を作り、それ以降は社会貢献、そんなプランでした。

20代前半は実家を離れて

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私のライフシフト⑤ 100年時代の人生戦略

25歳で地元にUターンし、損害保険会社の代理店研修生という制度を利用して働きました。たまたま見つけた新聞の記事にあったファイナンシャルプランナー資格に興味を持ち、資格取得のために講座に通います。

ファイナンシャルプランナーはお金の専門家としてお客様の財産管理をお手伝いするのが仕事です。ファイナンシャルプランナーは6分野の知識を学び、それぞれの科目で試験に合格し、実務経験などの要件を満たすと上級資

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その生きづらさをどうする?

悩みやストレスはよくないものだと思われているかもしれませんが、私たちが成長するためには悩むことやストレスを感じることが必要なこともあります。

悩む、ということは、現状と自分の理想とのギャップを感じることです。

そのギャップをうめるために何ができるか?どうするか?を考えることで、理想に近づいたり、自分の限界を超えていけるのです。

私たちは小さい頃から「ガマン」することを教えられています。

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私のライフシフト④ 100年時代の人生戦略

1991年 株価と地価の下落が始まりバブル経済は終焉へと向かっていく中、就職し、上京します。会社員生活のスタート。皇居の前という素晴らしいロケーションで仕事ができるなんて、今考えてみるとなんて贅沢。

当時はまだそれほど深刻な不景気にはなっておらず、バブルがはじけ、徐々に人々は夢から醒めていくことになります。

1992年の終わりごろ、某大手生命保険会社のセールスレディの方に声を掛けられて、一度目

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私のライフシフト③ 100年時代の人生戦略

1990年4月。専門学校へ入学し、寮生活が始まります。

ホテル研修生として、洋食レストランに配属され、始業前の朝食サービスが主な仕事でした。授業がない日はランチのシフトも入ります。

同期の仲間や先輩、社員のみなさんと楽しいことも大変なこともいろいろと。当時の寮は、ホテルの社員さんも利用していて、男子寮、女子寮が同じ場所にあり、1階の共有スペースではみんなで過ごすことができました。

海外ホテル

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私のライフシフト②  100年時代の人生戦略

1972年生まれの私が、人生で最初の大きな選択を迫られたのは1987年、高校進学のときでした。

当時15歳の私は、成績は良かったものの、学校で学ぶ知識が何の役に立つのか?という疑問から、早く自立したい、そのためには手に職をつけたい、と考えていました。当時の高校進学率は93.9%、大学進学率は男性が35.3%、女性が13.6%、全体で24.7%という時代でしたので、両親も先生も「高校くらいは行きな

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