言祝ぎ絵師

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逆流と順流-逆送り…順送り…=循環型→流れ着く大海へ〜

11.ここにある「議題(アジェンダ)」とは、こうです-「お金を稼ぎまくり、セルフ・イメージをあげる。」これもo.k.!「世捨て人かと思いきや、スピリチュアルのおかげでだいぶ清々しい人になれた」これもo.k.!しかし、その人の目が「笑っているのか?」と言う事です。

19.最終的に、大悟とは。喜びに満ちている。ただこれだけの事でしょう。仕事でも、仕事をしていなくても、家事でも、子育て手でも。はたまた、ヒマラヤの山上でも。。。今、この瞬間が、喜びに満ちれば、それだけでいい。と、そう言う事なのです。

1.より、長期的に見て、何が大切で何が必要なのか、選択して見ましょう。そのとき見えてくるのは、「いま、この瞬間の、安寧」が第一前提の「基準」である。と言う事実です。

2.ヴァイラーギャ(離欲)と言う言葉があります。精神世界では、その境地に達すると、渇望や期待が無くなる代わりに、失望感も、達成感の異常な高揚も起こらなくなる 。と言われています。

3.ここで問題なのは。「それを達する人にとって、個人的に、それが、本当に、幸せなのか?と言う事実です。」

4.誰かが幸せだからやって見て。と言われて、身を持ち崩すのは、ドラッグの犯罪などでもよくある事です。ここで言う真偽とは。それを取り扱う本人にとって、それが幸せかどうか?つまり、「正しさ感度ではなく、幸福感度」と言う言葉通りであります。

6.こんな風に、「幸福の価値観」も、「警鐘」も、試して見て、工夫して、自分に落とし込んで見なければ、審議も、そこにある「真意」も、永遠に見えなくなります。つまり、これこそが精神レベルでの「盲目」です。

7.幸せとはごく主観的。ごく個人的でパーソナルな領域のことですから、他人とは共有できるものではないのかも知れません。従って、理解を求めて押し問答になったり、押し付けようとして水掛け論になるとすれば、その時間の分だけ「不幸」が増えます。

8.一方、「正義」は、どちからと言うと共有しやすいかも知れません。記憶のレベルで同じ体験と教えを共有し、心に刻印すれば、自ずと同じ目標が出来るものでしょう。

9.ただし、正義とは、時代と共に移り変わります。(その証拠に、”大宝律令”が、今の法整備にどこまで影響を与えているか、よくよく見てみるとわかり始める事もあります。)

10.天気の子のテーマソングの中で「諦めたものと、賢いものだけが、勝者の時代に、どこで息をす」と言う一節がありますね。私は、「諦めたもの=精神世界に逃げ場を見出すもの」、「賢いもの=狡猾な蛇のような「仕掛け人」な人々の事」。そう読み取りました。

12,幸せはその人となりにどうしても出てしまいます。そこで、提案です。どうか、作り笑いでもいいので意味のない笑を1日に何度も浮かべたり、大声で発して見てください。その時に浮かんでくる違和感の全ては、幸福を阻害する思考の罠だと思って頂いて構わないと思います。

13.離欲を果たした人は、一様に死んだような目をしていますし、賢く生き延びる人の笑顔の裏には冷たい心で自らを切り刻む性質が見え隠れします。

14.本当に心から笑う。これを何年関していませんか?中国の逸話に出てくる「布袋様」は、突然現れて笑い続けることにより、人々の苦しみを癒しました。と、すると、「癒し」こそが、「大悟」の根幹です。

15.よく自分の安寧や安定の為に根掘り葉掘り探しまくる人がいますし知識欲と言うのは使い方を間違うと毒になります。なぜならば知識の果てには「笑い」も「喜び」もないからです。本を読んでいる間に日が暮れてしまえば太陽の光やこの頃のように青葉の陽光を肌で感じることは無くなってしまいます。

16.その証拠に、『知識人』や、『博士』と呼ばれる人々には、一様に顔の曇った様な表情と、感情を失った心と、もしくは、プライドの糧に知識の集積を使うような他人への依頼心がすけて見えます。

17.頭は「心を発露する為に」有ります。頭で全ては解決しません。頭で考えることを誇らしいと導かれた人がすることは、すっかりおざなりになって疲れ切った体を癒すことでしょう。

18.つまり、大悟とは、「偏りの是正」でもなければ、「偏りきった先のこと」でもありません。それらは全て未来と、過去のデータのコピーです。