PUNKS

ISHIYA私観「平成ハードコア史」〜#15  菜食主義

2019年の今年、平成という時代に終止符が打たれた。

1989年から始まった平成だが、昭和からパンクシーンにどっぷりと浸かった俺は、昭和も終わりを迎える頃にDEATH SIDEというバンドでライブ活動やレコード発売が活発になって行った。

自身の活動を踏まえた上で考えてみると、平成という時代が人生のメインとなる活動時期だったと感じ、私観ではあるがその歴史を書き留めておこうと思い筆を取った。

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嬉しい!
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PUNKとは何か?

海外雑誌などのインタビューを受けることがたまにあるのだが、海外では日本のパンクシーンが不思議に見える部分もあるようだ。

以前聞かれたのは、主に上下関係についてのことで「何故日本のパンクスたちには上下関係のようなものが存在するのか。パンクとはそういった一般的常識を覆すものではないのか」というような内容の質問があった。

確かに俺の拙い英語力で考えると、まず英語には敬語というものが無いように思う。た

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何かを感じてくれたなら幸いです。
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人は見た目で判断しろ

俺が初めてモヒカンにしたのは、まだ高校に行き始めて半年ぐらい経った16歳の頃だった。

それまでの中学生時代は、校則で「男子は全員坊主頭」という決まりがあり、髪型には様々な憧れがあった。

中学生でPUNKと出会い、スパイキーヘアーやモヒカンを雑誌などでは見ていたが、実際にモヒカンを見たことは無かった。

1970年代後半から80年代初期にPUNKと出会うまでは、日本でモヒカンにしているのは暴走族

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ありがとうございます!
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無礼な男の礼儀

バンドをやっている人間は、自分がライブをやる前に様々な方法で集中力やテンション、モチベーションを上げる。

何日も前から色々考えてその日に備える人もいれば、その日の感覚を大切にしてステージに持ち込む人もいる。

ツアーなどに出た場合などの身体が疲れきっているときや、仕事後にライブがあるときなどは、モチベーションを上げたり、スイッチを切り替える方法も人によって様々なやり方があるだろう。

ひたすら楽

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サンクス!
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ツアーのススメ〜海外編

前回のコラム「ツアーのススメ〜日本編」で書いたように、俺は約20年ほど日本国内をツアーし続けてきたが、遂に海外でのツアーを行うときがやってきた。

初めて行った海外ツアーは、2006年のアメリカツアーだった。

今考えると、全く誰も知り合いがいない国で、ツアーを取ってくれたのもカナダのレーベル。サポートバンドもなしでのFORWARDだけでアメリカのほぼ全域を、一ヶ月ほどかけてツアーしてきたのは無謀

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ありがとうございます!
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ツアーのススメ〜日本編

16〜17歳頃からバンドをやり始め、初めて東京以外の街に行ったのは大阪だった。

西成の近くにあったエッグプラントという素晴らしいライブハウスがあって、そこにOUTOが呼んでくれた。

メンバーみんなで車に乗って大阪まで初めて行ったときはワクワクと緊張と、色々なものが混ざり合って全く眠れなかったのを憶えている。

そのときは単発だったが、ツアーというものに初めて行ったのはバンドではなく、他のバンド

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応援よろしくお願いします!
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変化

友人がやっていたBASTARDというHARD CORE PUNKバンドに「NEVER CHANGE」という名曲がある。変わってしまうことを皮肉り、変わらないことの素晴らしさを歌っている大好きな曲だ。

地元にいた高校生のころに、何だかよくわからないが色んなことが気に入らなかった。まわりの人間とも全くソリが合わず、本当の友人と呼べる人間は2人ぐらいしかいなかった。

そんなときに音楽、PUNKやRO

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ありがとちゃーん!
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