【士農工商見直し】士農工商は秀吉が実行した兵農分離を原則とし幕府成立後に確立していった。しかし士農工商は古代中国の社会階層を説明するもので、それを江戸時代に当てはめた適当なもの。実際は農工商に上下関係はなく、上級武士と下級武士では待遇が違った。河原乞食はここには入らない。
1868年まで士農工商で商人が1番下の身分。 今は確実に商人で金稼いでるやつが上。 たったの150年で常識はひっくり返る。 てことは目の前の常識を信じるよりも先を見越して生きることが大切。
「士農工商の『工』ってなんなん?」 「(職工と言うのも芸が無いし泳がせるか)」 「なんやと思う?」 「えぇ・・・」(思案顔) 「工業高校の学力って最下層よりちょい上やで、的な?」 「おー良い線行ってる(笑)」 恵まれた大喜利力に糞みたいな合いの手を入れた自身に辟易する
士農工商は、農工商は妥当と思うけど、ものを生み出さない、破壊するのが商売の「士」が最も上のクラスなのが不思議だ。 明治時代は「士」がそのまま上流階級になり、公家と一緒になった。 そのままの文化が、現代まで続いている。だからものづくりの評価が低いのだ。おかしな国。