慶長9年(1604)2月18日は毛利輝元が指月山に萩城の築城を許され開始した日。輝元は山陽山陰8ヶ国を有し安芸国の広島城を居城としていた。関ヶ原の戦いで西軍総大将を務めたため減封。隠居し家督を秀就に譲る形で周防・長門2ヶ国を安堵された。広島城に代わる居城を築く許可を幕府から得た。
慶長5年(1600)8月23日は東軍の福島正則らが信長の嫡孫で西軍の織田秀信が籠る岐阜城を落とした日。清須城に終結した正則や池田輝政らは家康の到着を待たずに進軍した。22日に木曽川を渡った輝政らに敗れた秀信は籠城するも竹ヶ鼻城を落とした正則も合流し岐阜城はわずか1日で陥落した。
慶長9年(1604)2月18日は毛利輝元が指月山に萩城の築城を開始した日。関ヶ原の戦いで西軍総大将を務めた輝元は山陽山陰8ヶ国から周防国、長門国2ヶ国に減封。広島城に代わる居城として幕府に許可を得た。城の修繕でも無断だと改易された大名もいた。口実を与えない慎重さは今も必要なこと。