「深い河 ディープ・リバー」半分まで読んだ。福田恒存の文章が引用されていて、その一文が、物語を動かす要素にもなっていた。福田氏は「私はキリスト教の無免許運転をしている」と述べていたと記憶している。20代の頃影響を受けた人物の名前と偶然出会うと、物語の内容と相まってハッとなるネ。
マルクスのいう「プロレタリア独裁」概念は知識人の持つ肥大化した自意識の象徴と言える。福田恒存はこの事に気づいていたのでは。
死との距離感が今の日本人は狂っているのかもしれない 死から過剰に逃げていると逆の生きることからも逃げることになる 生存至上主義というのは死を過剰に遠ざけて生きることもできなくなってしまうものだと思う 生と死は二律背反の両面性を持っているもの、他方なくしてもう片方もなし
https://youtu.be/qo9hjuoaZcA?si=MdXTMEbRqiBoHhFn 人間は生産を通じてでしか付き合えない、消費は人を孤独に陥れる 共産主義国家も福祉国家も同様の過ちを犯している。いずれにおいても生産は消費の手段とされていて、そういう前提の下では如何に生産を称賛してもごまかしとなってしまう
https://youtu.be/XJvbPq_CUN0?si=9u5jyuebFGCfoDaf 自らが専門家に匹敵する知識を得ることが目的ではない 専門家がたくさん増えてもあまり意味はない それよりも、専門家が築き上げた知識や理論をどのように使うべきなのかを我々は掘り下げていくべきだと思う。専門家でないが故にできることあるはず
文明とは自然や物や他人を自分のために利用する機構の完成を目指すもの。決して良いものだけではない 保守思想とは決してプラスの面だけを見るものではない。プラスに付随する弊害からも目を背けず、背負う覚悟をもって進むものである 護るべきもののせいにして、責任から逃げるのは無双主義である