大谷選手の身を慮るなら、あんまり個人の発言を控えた方がいいと思う。まだ情報が錯綜している中で、個人が妄言や想像で主張した発言が真実だと思われてしまう。まずは、事実確認に注視して、事件の概要がはっきりしてから 自分自身の発言をするのが一番だ。 こういうのは余計な一言だと思う。
世代間の温度差を『悪』とみなすより『なぜそうなのか?』と考えた方がいいと思います。例えるなら、政治に対する考え方。上の世代がガヤガヤザワザワしすぎて、下の世代がついていけない。 その実態を認識と意識が足りないと片付けてしまうのは、考えていない証拠です。 偏見は取り除くべき。
誰かさんとは言わないけど、50代になってもにわか知識で議員さんとか専門家さんとディベートという名の泥試合をしている確か名前が論理破綻王さんは逆の意味ですごい人だなと思います。 こんな人だけには絶対になりたくはないです。ただの普通の口だけオジサンには絶対に絶対になりたくはないです。
YouTubeが廃れた理由は、多分視聴者と動画配信者の負の連鎖?だと思う。民度が低いくだらない動画を視聴者が求めてしまった結果、動画配信者の意識が低くなってしまい、炎上要素たっぷりのテンプレな動画ばかりが出回るようになってしまった。やっぱし、みる側も創る側もしっかりしないとね?
怒り、悲しみ、恨み、後悔、恐怖・・・マイナス感情の中でも、これらは特に強いものだ。なぜ、こんな感情がわき起こるのか?原因は全て、「自分の考え」だ。なぜなら、ありのままの現実は、ただそこに「ある」だけだから。同じ現実でも「自分の考え」次第で、喜怒哀楽どの感情にもなり得る。
毎回同じことをしているような感じがメディアや世間から読み取れる。 批判をして、煽り記事を創って、仕事をやっている感がマシマシなメディア。 自分たちが弱いことを主張して、何をしても構わない無敵なフウをして、 自己擁護をするしかない世間。 それらを自覚してもいいのになんでかな?
本当に、良い時ほど持ち上げて、 悪い時は、粗探しをして無能扱いする。 最近のメディア報道は、何かが足りない。選手にリスペクトがないし、 報道関係者の上から目線が嫌いだ。 やっぱり腐っているんでしょうね。 アジアカップのニュースをみていて そう感じるのは、ボクだけなのかな?
文章で使用する『』は伝家の宝刀だと思う。伝えたいことに、必ず『』をつける。 『』を多用すると、何を伝えたいかわからなくなる。なので、僕は、『』を使用するときは、一番みんなに知ってほしいワードにつけるようにしている。メリハリをつけた文をこれからも書いていきたい。
〇〇ニーズ騒動でいいねやハートを稼いでいる人がその一例。自分の考えをめいいっぱい書いて、それで満足な人。ただ単に、騒動に便乗して正論を吐いているだけの人。色々な人が意見してるけど、自分たちは手を出さないで発言ばかりをしてる。深く傷む人達はどのくらいいるのだろうか?考えてしまう?