無力感や無価値感を感じたくなくて 私は生きていてはいけない存在だと 感じたくなくて 人に迷惑を掛けたくなかった 心の傷が再び痛む恐れがあった 迷惑を掛けたと思っても それはお互い様の支え合い 助け合いで補い合い 目に見えても見えなくても 人は誰も支え合って生きてる それが中庸
日本での「社会生活」困難者としての呟き 身体障害などは…特に私は視覚が大きいわけですが、「できる」か「できないか」ではない 工夫と周囲の方々の支えを求めることが許される環境ならば、できないことはそうそうないと感じています 「工夫することがどこまで許される場なのか」なのだと感じた