他者の不幸・不運をも「私」の至らなさ・不甲斐なさによるものだと勘違いすることは正しい。 だが、それは徹頭徹尾勘違いなのだ。 自分自身の至らなさ・不甲斐なさを自分がどうこうできるわけがないのだ。これは誰もが相互的にそうである。 『無適無莫』 すべて「私」が悪い、開き直りじゃなく
変な 時があってもいいんじゃないかな そりゃ 年配として 母親として 社会的には分別があって 立派な大人かもしれないけど 私はね 子供の頃から大人でした 親の顔色伺って生きていたけど 社会の大人と親は違いました もう我慢は良くないとわかりました 自分貫く覚悟