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【銭湯の歴史 三部作 〜第一部日本編〜】

#ハッシュタグセントウ  です。
色んな銭湯を回って、色んな人と出会うことができています。
そんな中ふと思ったことがありました。
「銭湯っていつ頃できたんだろう。」「海外ではなんでシャワー文化なんだろう。」「銭湯はどんな風に発展してきたんだろう。」

そんな事を考え、色々と調べている内に、なぜ、日本では銭湯、引いてはお風呂の存在が当たり前で、海外では違うのか。
色んなことが見えてくるようになりました。
ぜひこの機会に皆さんの大好きな銭湯の歴史について知っていただいて、お風呂に入る意味、そして銭湯は今後どのように使われていくのか。考えていけるようなきっかけになれればと思います。

<銭湯の始まり>

始まりは6世紀、奈良時代。仏教が伝来し、聖徳太子の力で国家宗教へと成長した頃。
その仏教では、沐浴をすることで汚れを洗い流し、仏に仕える者の重要な仕事と教えました。お風呂に浸かるというよりはお湯で洗い流すというような形ですね。
「温室教」という沐浴の良さを説いた経文もあるほどで、その中には入浴に必要な七物を整えると七病を取り除き、七福が得られるとまで言われており、いかに重要な仕事であるかがわかります。

その頃の寺院には浴堂が造られ、施浴というものが盛んに行われた。東大寺にもまだ残っているらしいです。銭湯パワースポットです。笑
もちろん家庭や、銭湯もなかった時代なので、寺院はそれを貧しい人々などに開放し、お風呂の喜びを伝えていったようです。
そのおかげか、平安時代の末には京都に銭湯のはしりとも言える「湯屋」が生まれたようです。

<施浴の発展、そして個人宅へ>

鎌倉時代には、源頼朝などによって施浴文化は広まり、寺社によっては貧しい人のみではなく、一般の人に開放。やがて荘園制度の崩壊とともに入浴料をとるようになり、これが銭湯の始まりと言われています。

室町時代には、足利義政夫人の日野富子が縁者を招いてお風呂を振る舞っており、このような風呂を持っている人が近所の人などを誘って「風呂振る舞い」をすることがあったそうです。
お風呂後は、持参のお酒やさかなを食べて宴会を行っていたようです。
もうこの時点で今の文化にかなり近くなっていますね!

その頃には、京都の町中には銭湯が増えていき、当時の銭湯は蒸し風呂タイプのものであった。
基本的には庶民向けであったが、上記の自分の家に入浴施設を持っている人たちも、銭湯を貸し切って入っていたこともあるようです。その頃から家のお風呂だけじゃなく、色んなお風呂に入りたいという感覚はあったようですね。

<江戸時代の銭湯>

江戸時代になり、1591年に伊勢与市という者が銭湯風呂を建てたという記録が残っています。それが17世紀初頭には「町ごとに風呂あり」と言われるほどに銭湯は広まったと言われています。

最初の銭湯は蒸し風呂。足湯程度のお湯を張り、その蒸気で身体を温める「戸棚風呂」と言われるものが発展しました。
その後、首まで浸かる「据え風呂」ができ、一般の家庭にも広まっていきました。
当初は湧いた湯を桶に入れる組み込み式でしたが、桶の間に鉄の筒を入れて直接火をかけて沸かせられるようにしたり、関西では五右衛門風呂も流行りました。

当時、男湯と女湯を分けることが経営的に困難であったために、混浴。湯衣と呼ばれる服を着て入浴していたと言われる。蒸気を逃さないために入り口は狭く、窓もなかったために浴室は暗かったため、盗難や風紀を乱す行為も少なくなかったそうです。

<銭湯発展の秘密は...>

江戸時代は朝から湯を沸かして、午後6時まで営業していたそうです。上下の別なく、裸の付き合いができるということで、当時の身分等も考えると庶民の憩いの場としての機能は非常に高そうです。
やがて銭湯でお茶を出す湯女(ゆな)が大活躍し、昼は客の背中を流し、夜は三味線を持って遊客をもてなしていたようです。

こうして湯女風呂は栄えていき、なんとあの吉原遊郭が寂れてしまうほどだったとのことです。
幕府は風紀上の問題から度々禁止令を出しますが、効果はなく、1657年についに徹底的に取締まり、湯女600人を吉原に送りました。

まさかの歴史です。笑
銭湯というよりも吉原遊郭の歴史にこんな事件が起きているとは。
今までやってきた日本史の勉強よりも圧倒的に面白いです。笑

そしてその後、銭湯は江戸庶民の憩いの場として親しまれることになります。かつて湯女がもてなした2階を開放し、お茶や菓子、将棋や囲碁などを楽しむ社交場として発展していきました。

<そして現代へ>

明治時代には遂に外国への配慮から混浴も廃止され、今のように男湯と女湯のような形になりました。銭湯そのものは、衛生観念の向上とともに隆盛を極めました。
そしてお風呂にも変化が起き、「改良風呂」と言われる、浴槽と板流しを平面にしたり、洗い場も広くなりました。後には湯船の縁を高くして汚れが入らないように工夫されました。

大正時代には木造のお風呂がなくなっていき、タイル張りに。
昭和の初期には浴室に水道式のカランが設置され、衛生面も向上したとのこと。

1965年頃には、人口の増加とともに銭湯が急増。全国で2万2000件となった。そして家庭の浴室保有率が95%を超えた2016年には3900件にまで減少しています。

そして現在では、銭湯、スーパー銭湯、ハイパー銭湯、デザイナーズ銭湯と言われるような新しい銭湯が次々と誕生しています。
設備としても、サウナや岩盤浴、泡風呂、電気風呂。スポーツ設備があったり、宿泊ができたりと進化を遂げてきています。
お風呂だけでなくそれに+αを加えることが家庭にお風呂が普及した現在では必要になっているような状況です。

以上のように、仏教の伝来から始まった日本のお風呂の歴史。昔から庶民の憩いの場として楽しまれており、その流れは現代にも確実に引き継がれているのではないでしょうか。私も大好きな銭湯はなぜか行きたくなるような、その銭湯に行くと自然と引き込まれていくような魅力があると思っています。

次回は海外のお風呂文化について調べて投稿しようと考えています。日本の歴史だけでなく、お風呂というものがなんなのかを理解して、真に人々が入りたくなる銭湯像に近づいていければと考えております。
引き続きお付き合いくださいませ。

<参考URL>
https://www.1010.or.jp/guide/history/
https://www.nippon.com/ja/views/b07302/
https://suumo.jp/journal/2016/11/04/120055/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%AD%E6%B9%AF

※大変勉強になりました。ありがとうございました。かなり端折っておりますので、詳しく気になる方はぜひ。

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