フレッシュ魔法おじさん AROUND☆FIFTY!!――9

 「息子の推しが実の父」という昨晩の事件は、魔法おじさん達に決して少なくない衝撃と戦慄、そして世知辛さを与えた。
 長い時間を生き、数多くの経験を積んだ彼らでも家族に、それも同姓の同姓にガチ恋されるなどという経験はあった試しがない。
 魔法少女としての姿に懸想されているのがまだ救いであった。もし同性のままであれば——勿論、そういう愛の形もあると彼らは知っているものの——身内に魔法少女生命を絶たれることすら覚悟しなければならなかった。

「息子が非行に走るよりもキツい……ッ」
「これはひどい……」

 呻きながら頭を抱える文雄へ、魔法おじさん達が同情とドン引きが半々に混ざった目を向けた。
 芸能界でもここまで複雑ではないであろう珍事は、二年に渡る魔法おじさん界でも起こらなかった大惨事である。
 当然、適切な対処法など確立されているわけもなく、彼らはお互いに顔を見合わせるばかりであった。

「どうすればいいんでしょう、夜部さん……」
「とにかく、正体を悟られることだけは避けるべきでしょうねぇ」

 のんびりと、しかしはっきりとした言葉で夜部が前提を説く。
 この辺りの決断力の強さは中々のものであり、指導者としての安定感を見せてくれるため、魔法おじさんの間では「困ったら夜部に聞け」が定着していた。

「今はまだ、息子さんも熱心なファンに過ぎません。適度に距離を置きつつ、よい方向に導いてあげるといいでしょう」
「よい方向に、ですか」
「えぇ。父親として接するだけが、親子の縁ではないでしょうから」

 そう笑う夜部もまた、一人の娘を持つ魔法おじさんだ。
 もうとっくに成人して独り立ちしているとのことだが、育ての苦労は相応であり、その言葉には確かな説得力があった。

「そもそも、大事な受験の時期にライブに行くのも、何か抱えてのことかもしれませんな」
「浦戸さん、その心は?」
「勉強ばかりでは気が滅入るものでしょう。思い詰めた先に逃避できる場所があれば駆け込んでしまうのは、この事務所が何よりも証明になりますとも」

 そう言いながら浦戸は、相談予約のカレンダーを指し示す。
 休みの日以外はびっしりと敷き詰められたその予定表は、社会の荒波に疲れ果て、逃避してきた人々の多さを表していた。
 文雄も彼らと接してきただけに、その重さは充分理解している。息子、段がそうなっているとあれば、献身も吝かではない。

「とにかく、誠心誠意元気づけてあげましょう!!」
「おや、五十嵐君にしては大人しいねぇ」
「……子ども相手に、力任せは一番いけないことですからね! それでも、誠心誠意を尽くして相手しようという気持ちは、子どももわかってくれるんです!」

 五十嵐は三十路も過ぎて尚独身だが、その言葉には深い想いと含蓄が隠れているように思えた。
 彼は昔を語らない。ただ前を見て、一生懸命に振る舞うだけである。
 猪突猛進なのはやや玉にきずだが、その前向きさは文雄も見習うべき点であった。

「でも、今時の子を元気づけるってどうすれば……」
「乳でも揉ませればいいんじゃないですかね?」
「ちょっ」
「キスよりはマシでしょうよ、お互いに」

 そうカラカラと笑う須藤は、立派な妻帯者の割に下ネタには容赦がない。
 確かに喜ぶのは喜ぶだろうが、拗れに拗れるのは文雄としてはノーセンキューである。
 とはいえ思い詰めないようにと気遣った冗談だと分かっているだけに、文雄は苦笑するに留めていた。勿論実行はしないと堅く心に誓いながら。

「とにかく、今日はライブの成功だけ考えましょう。特別扱いせず、無碍にもせず、です」
「……はいっ」

 落ち着いた夜部の言葉に、文雄はしっかりと頷く。
 魔法少女と高校生の逢瀬、希望と絶望を紙一重にしたボーイ・ミーツ・おじさんナイトまで、残り数時間を切っていた……。

***

 その時の田中 段曰く「魔法少女とは砂漠のオアシス」である。
 コンクリートの砂漠をもがき、彷徨い疲れた人間の為に存在する、蜃気楼の泉。
 現実から剥離しているにも関わらず、一度知れば離れることなど考えられようもない幻想。
 それが魔法少女であった。

「ここが……ライブ会場」

 段が辿り着いたのは駅から遠く離れた個人営業の酒場であった。
 古く寂れた木造建築は、建物の奥から漏れる光しか灯火もなく、中からは囁くような笑い声が響いている。
 本当に此処で合っているだろうか? 段は不安に駆られて何度も確認するが、周囲には民家や雑居ビルしかなく、その結果は変わらない。

「……行ってみよう」

 意を決して、段はガタガタと古臭いガラス戸を引く。
 電球色の光が目を焼くが、若々しい眼球はその明度にすぐに慣れていく。
 薄明かりに照らされていたのは、思い思いにコップを手にする様々な人達であった。

「なんだ、これ……」

 段が思わず呟いてしまったのは、彼らが皆一様にしょぼくれた顔をしていたからである。
 老若男女、スーツを着ていることから社会人であることは見て取れるが、彼らの顔は同じ様に暗い。
 そんな中、全員同じようにからのコップを持って待機している様は何かの宗教のようにも思えた。
 
「帰ろうかな……」
「あらあら、ご新規さんでいらっしゃる?」

 それ以上踏み込むことを逡巡した段であったが、ここで彼に声がかかる。
 甘く蕩けるようなその声は、バニースーツ姿の美女——事務所長ユーティリティその人であった。
 彼女はするすると段に近づき、彼の為にスチール缶を開く……チケット代の回収だ。

「ご予約です? 当日券です?」
「あ……予約の、田中です」
「はぁい、ではこちらのコップをどうぞ」
「あ、ありがとう……?」

 ユーティリティから手渡されたのは、他の参加者達も持つ鈍色のコップであった。
 疑問を挟む余地もなく、段は簡素な木板を組んだものに座らされる。

「すぐに始まりますからね、席に座ってお待ちください」
「は、はぁ……」

 ぎし、と軋む木組みが箱馬という足場として作られたものだということも、段は知らない。
 そこは受験では知る由もない、学校の勉強では決して観ることの出来ない空間であった。
 つい数日前までの段ならば、こんなところにいること自体が時間の無駄としていただろう。理屈のつかない、運命の如き奇縁が段を導いているように思えてならなかった。

「——お集まりの紳士淑女の皆様、大変お待たせしました」

 そんな感傷に段が浸っていると、ユーティリティが酒場の内に声を通らせる。
 狭い店内に響く声は、その落ち着いた声量に関わらず、しょぼくれた顔を残らず上げさせた。

「今宵始まりますは魔法のひととき。皆様の心を癒やす魔法少女達のひとときです」
「皆様には魔法少女の歌と踊り——ではなく。一人一人の心温まるやり取りを共有して頂くことを本イベントの本題としております」
「事前にどの魔法少女を中心に話したいか、どうかお手元のカップに、お座りの箱馬の中にある飴玉を入れてお答えください——」

 言われて箱馬の中に手を伸ばして見れば、色とりどりの飴玉が五つ。
 それぞれの色がそれぞれの魔法少女に対応しているらしく、それで“ご指名”をするらしい。
 段は言われるまでもなく、淡紫色のぶどうの飴玉を——チャロ☆アイトを想いながらカップに入れた。

「それでは、各々対応する魔法少女にグループ分け致します。どうぞゆっくりとお寛ぎください——」

***

 運命とは八割が皮肉で構成されている。
 正にそんな実感と共に、魔法少女チャロ☆アイトは箱馬に小さなお尻を乗せた。

「……よ、よろしくおねがいしまぁす」
「よろしくお願いします」

 このライブの形式は、主に需要や人気度によって対応する人数が変動する。
 大概の客はベテランのトル☆マリンやこの手のコミュニケーションでは一番の手練れであるラピス☆ラズリを目当てに来る為、他は自分達の熱心なファンに集中できるといった寸法だ。
 人気の取り合いなどは全くしない。何故ならこのイベントは偏に人の癒やしを目的としているからである。
 それ故に、新米であるチャロが相手する人数は少ないものである、そうタカは括っていたが……。
 
「……段、くん?」
「はい。俺だけで独占してしまったみたいで、すみません」
「いや、いや……イインダヨ、ウン……」

 誰が息子と二人きりで過ごすことになると思ったものだろうか!
 チャロが思わず他の魔法少女やユーティリティに顔を向けるものの、皆揃って目を背けた。この状況では助け舟など出しようもなかったのである。
 寧ろ大抵はライブに顔を出すほどの熱心なファンはなく、新人は先輩魔法少女の隣に座るものなのだが、まさかここで息子からご指名が来ようとは余りにも皮肉が過ぎた。

「えーっと……魔法少女チャロ☆アイトです。ヨロシクオネガイシマス……」
「はい、よろしくおねがいします!!」

 まさかの個人面談に、チャロの胃がしくしくと泣き始める。
 対する段の顔は何故かイキイキハツラツであり、見て分かる程度に幸福感が滲み出ていた。
 頬が心なしか赤らんで見えるのは電球の色が橙だからだろう。そうに違いないとチャロはそれ以上を考えないことにした。

「えぇと、何か飲む? 取り敢えず生……」
「未成年なので、サイダーを貰えますか?」
「……うん、そうだね! 一緒にサイダー飲もうね!!」

 心の中で己をぶん殴りながら、チャロはサイダーのペットボトルを抱える。
 少女の身体に一リットルは太く、大きい。よっこらしょと声が出るのを抑えながら、ちょこんと彼は段の隣に座った。

「じゃーじゃ、社長さん。一杯一杯」
「……ありがとうございます」

 美少女にお酌された為か、隣に座った為か、それともオヤジ臭いやり取りが垣間見えた為か。
 やや喜びよりも戸惑いを大きくして、段は鈍色のコップをまじまじと見つめる。
 そうしてチャロが自分の分を注ごうと苦戦していると、彼もまたお酌を返そうとしてくれた。やはり根はいい子だと頷きながら、チャロはコップを合わせる。
 
「……じゃ、乾杯」
「か、乾杯」

 コップを合わせればカラン、と音がして、中のサイダーが泡を爆ぜさせる。
 それをゆっくり飲み干せば、ビールの苦くも旨き味ほどではないにせよ、魔法少女の味覚に合った甘さと刺激を幼い唇に与えてくれた。

「……っぷはーっ」

 最初の一杯はぐいっと飲み干してしまうに限る。
 そう言わんばかりに杯を握りしめれば、他のグループも似たように乾杯を楽しんでいた。
 飲んで騒いでという程でないにせよ、思い思いにひとときを楽しみ始めたのだ。

「……あ、ごめんね。魔法少女らしくなかったかな」
「あ……いえ! すっごく、可愛らしかった、です」
「そっかぁ……ウン、アリガトウネ」
「はい」

 褒められる嬉しさとガチ恋化が進む恐ろしさは概ね半々である。
 やや顔を引き攣らせながらも、チャロはおもてなしを忘れないように杯にサイダーを注いだ。
 酔わないのはわかりきっていることなのだが、飲まなければやってられないのである。

「どうして、私を選んだの?」
「……チャロさんが凄く、素敵な魔法少女だったからです」

 ふと顔を伺ってみれば、段は驚くほどハッキリと自分の好意を伝えてくれた。
 怪人退治でチャロのことを知り、以来ずっとチャロのことが気になっていたことまで、包み隠さず。

「恥ずかしながら、高校に入ってからはずっと勉強をしていて」
「うん」
「いい大学に入りたくて、勉強を沢山してきて……魔法少女とかは、よく知らなかったんですが」
「……うん」

 知ってるよ、という言葉は出る前に飲み込んでおく。
 父親として接してきた時は、ここまで言葉を待てただろうか、とふと頭に浮かぶことも、段の一言ですぐに霧散してしまった。

「ショーで見たチャロさんは、凄く……生きている感じが、しました」
「生きて、いる?」
「はい。惰性で生きているんじゃなくて、その時、たった今の為に全力で生きている感じが……あこがれを見せてくれたんです」

 言葉になっているようで、まとまりのない言葉の濁流。
 伝えたいのはただ好意一つで、その勢いがチャロに真っ直ぐに注がれていく。
 気恥ずかしさと共に申し訳無さが出てくるのは、少年の青臭さ故だろう。決してそれ以外は存在しない筈だ。

「だから……実際に、こうして話してみたくなったんです」
「……そうかぁ。ありがとうございます」
「いえ、こっちこそ、ありがとうございます」

 お互いに頭を下げる様は、初々しいカップルの様に見える。実際は父子である。
 そんな少年に、魔法少女として魔法をかけるのも、またチャロの務めであった。

「でも、段も凄いよ」
「えっ?」
「勉強を頑張ろうって気持ちは、昔の私には考えもしなかったことだから。将来を見据えて勉学に励むっていうのは、限られた人にしか出来ないことで……とても大事なことだと思う」

 それはチャロとして、文雄としての素直な心だった。
 魔法少女になれば、心を隠さずに済む。
 それ故に好意は言葉になり、純粋な励みを与えられるのである。

「頑張れ、段。私も勉強、応援してるよ」
「……」

 ……段の頬がみる間に赤らんでいくのを見て、チャロは内心でしまったと呻いた。
 見れば他の魔法少女もやれやれと肩をすくめたり頭を振っており、そして段の目は物凄く——真っ直ぐにチャロへ向けられていた。
 
「——はいっ! 物凄くいい大学に入って、一流の社会人になります!!」
「……お、おう」

 貴方に相応しい男になります、という言外のアピールは全て見なかったことにした。
 魔法少女は人の心を鋭敏に感じる——今この時ばかりは、その機能を恨まずにはいられなかった。
 
【つづく】

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