フレッシュ魔法おじさん AROUND☆FIFTY!!――4

 魔法少女相談事務所に入ってから、文雄の身体に初めての筋肉痛が訪れた頃。
 その日から新人研修の担当が、夜部から浦戸に変わることとなった。

「まずは一通り関わって貰ってから、自分のお仕事スタイルを確立してほしいんだニョップ!」

 とは所長、ユーティリティの言である。
 文雄としても、まだ右も左も分からない業界であるし、他の魔法おじさん達と知り合う機会は貴重なので、社の都合に合わせることは吝かではなかった。

「というわけで、よろしくお願いします!」
「えぇ、よろしく。といっても、夜部さん程丁寧に教えられるかはわかりませんな」

 そう言って冗談めかして握手を交わす浦戸は、いたずらっぽく笑うハンサムなおじさんである。
 己のことはあまり語らないが、どうやら前職は服飾関係だったらしく、魔法おじさんの衣装は全て彼が制作しているのだ。
 魔法おじさんとしては夜部に次ぐベテランであり、その信頼度は高い。

「では、早速着替えてしまいましょう。丁度そちらの衣装も準備が出来たのでね」
「えっ、もう出来たんですか!?」
「装飾以外は。一度着て貰ってから、どう飾るかを決めたいと思いましてな」

 そう言いながら浦戸は黒のセーターとデニムを脱ぎ、丁寧に畳む。
 文雄もそれに倣ってスーツやシャツを掛け終えると、二人はそれぞれ万年筆と十字架のネックレスを掲げた!

「「——変・身——ッ!!」」

 その瞬間、光輝く顔の脂が、潤いのある肌に変化するッ!
 心と魂をそのままに、身体の全てが魔法の力で変質していく!
 これこそが世界の神秘ッ! 社会が許さぬ秘匿の証——魔法おじさんの魔法少女化現象ッ!!
 その間僅か一秒ッ!! 二人の魔法おじさんは、うら若き裸身の乙女に変身していたのであるッ!!

「……いやぁ、やっぱり股に違和感があるなぁ……」
「あら、中まで調べておきます?」
「い、いいです、いいです! 遠慮しときます……!」
「冗談ですよ」

 そう言っていたずらっぽく笑う浦戸——否、魔法少女ラピス☆ラズリは、その美しい裸身を隠そうともせずに下着を取り出す。
 それは無頓着さから来るものではなく、寧ろそうするのが当然とばかりの上品な所作から来ており、着る動作の一つ一つからも作り込みが伺えた。
 完璧な魔法少女、いや魔法令嬢というに相応しき乙女、それがラピス☆ラズリであった。

「……なんというか、スゴいですね」
「ふふふ。私、顔は分ける方なのです」

 白いカーテンを手繰れば、彼女はまるでアントニオ・コラディーニが彫り上げた乙女のよう。
 思わず見惚れていたチャロは、肌寒さにくしゃみをして漸く正気を取り戻した。
 風情もへったくれもなく、いそいそとスポーツブラをつければ、とりあえずホッとする何かがあった。

「では、こちらを」
「これが、私の衣装ですか?」
「そうです。あまりひらひらしたものはお好みでないということで、シンプルにしてみました」

 それは魔法少女というよりは、アイドルといった概念に近い装いであった。
 丈の短い紫のスカートに、真っ白なワイシャツ。そこに濃紫のチョッキを纏うものである。
 スカートは外の空気を股に入れ、すぅすぅと通る風がチャロへ落ち着きを与えない。

「なんというか……股座が落ち着かないような」
「揺らすものもないのに?」
「ちょっと、ラピスさん!?」
「冗談です、冗談です」

 おかしげに笑いながら、ラピスは衣装の丈がおかしくないかを調べにかかる。
 やがてそれが問題ないことを悟ると、彼女は様々なリボンやネクタイなど、小物を衣装に当て始めた。

「さて。素材がいいので素のままでも良さげですが、少しくらいはお洒落にしておきたいところです」
「えぇと、具体的にはどのような……?」
「そうですね……何か、リクエストは?」
「えぇ、と……」

 リクエストを求められたところで、女子歴が一年にもなっていないチャロに女物のファッションなどわかる筈もない。
 答えに窮していると、ラピスは勝手に得心がいった様子で、ネクタイを首に締めさせた。

「こちらの方が似合いますね」
「そう、ですか?」
「えぇ。名付けて、“サラリー・スペシャル”」

 そう言われて姿見を見やれば、成程確かにその装いは学生服、或いはスーツのようである。
 これならばサラリーマン歴の長いチャロでも、違和感を少なくして着れる筈だ。
 ……ミニスカートからなにがしかが覗きそうで、気が気でないのを除けば、ではあるが。

「やっぱり、慣れませんね」
「この一着で通すわけではありません。当座の外行きはこちらを着ていただいて、後々で自分のスタイルを追求していきましょう?」

 そう言いながら、ラピスは自らの衣装を見せびらかす。
 確かにそれは以前に着ていた修道服ではなく、ゴシック調に誂えたナース服だ。
 チャロから見れば奇抜な服装ではあるものの、チープさや粗雑さは一切感じさせない。
 周囲の雰囲気を己のものに取り込む立ち居振る舞いは、正に魔法といっていいだろう。

「さ。予約が控えてますから、お茶菓子の用意をしてしまいましょう」
「予約?」
「えぇ。今日はご相談のご予約が三件」

 ラピスが廊下を見やれば、掲示板には彼女が言うとおり、来客の予定が三つ。
 どうやらこれがラピスの仕事らしく、彼女は慣れた様子で歩き出した。

「迷える子羊へ、お導きの魔法をかけるのですよ」

***

 作り置きらしい手製のクッキーに、焼きたてのマフィンを添えて。
 それら一つ一つに、幸せを願ってシュガーパウダーをふりかける。
 魔法少女の想いは魔法。願う心こそ最高の調味料なのだ。

「これで、大丈夫ですか?」
「えぇ勿論。ありがとう、チャロ」

 まるで仲睦まじい乙女達が和気藹々とお菓子作りに興じているようだが、中身は二人共おじさんである。
 とはいえラピスの所作は正に乙女のそれで、真実を知っていようとも違和感を感じさせないから恐ろしい。
 そんな戦慄と畏敬の念をチャロが込めていたところ、からんからんと呼び鈴が鳴った。

「あら、丁度いい頃合いですね……丁度いいついでに、お客様の対応について学びましょう」
「は、はいっ」
「緊張なさらず。まずは、見ているだけで大丈夫ですから」

 二人揃って門前に向かえば、そこには一人の男がきょどきょどと立っていた。
 かつて文雄がそうしていたように、相談所のファンシーな装いを眺めながら、彼は魔法少女の訪れを待っているようだった。
 そんな男に歩み寄りながら、ラピスは丁寧に対応を始める。

「お待たせしました。ご予約の方でよろしいですか?」
「は、はい。佐藤です」
「はい、佐藤様。ようこそ、魔法少女相談事務所へ」

 ひどく疲れたような、憔悴しきった男であった。
 ラピスが歓迎したことに安堵するだけの余裕もないらしく、灯に誘われる蛾のように、佐藤と名乗る男はゆらゆらと事務所の中へと連れられていく。
 傍から見ればこれこそ洗脳魔法がかかっているようだが、どうやら彼は元々疲れ果てているようだった。

「さ、そちらにお座りになって。紅茶には角砂糖はおいくつ?」
「あ、いいです……お構いなく」
「そう。ではゆっくりといただきましょう」

 応接間に通され、出された紅茶を佐藤は恐る恐るといった風に飲む。
 紅茶の熱が臓腑を暖めたのか、彼の口からようやく重い吐息が出てきた。
 魔法で彩られていないにも関わらず、そのため息の重さは灰色に染まっているようだ。

「……暖かい」
「あら、よかった。ここは暖房は効きにくいから、肌寒くなりがちなんですよ」
「そ、そう、なんですか」
「えぇ。なのでおなかに毛糸の腹巻を仕込んでいるの。太って見えたら、ごめんなさいね」

 そう言いながらぽんぽん、と叩かれたラピスのウェストは、コルセットを締めたかのように細い。
 相変わらず飄々とした態度だが、彼女の対応は全て初対面の来客を気遣ったものだとわかる。
 
「そうだ。良かったら半纏をお着けになりますか?」
「は、はんてん?」
「えぇ、半纏。チャロ、そちらに掛けているのを取ってくださる?」
「はい、ラピスさん」

 チャロは言われるがままにコート掛けに掛かった、場違い感溢れる半纏を佐藤に手渡す。
 よく綿を詰められた半纏は、暖炉の側に掛けてあったからか、ほんのりと暖かい。
 首を傾げながら袖を通した佐藤も、この暖かさにはほう、と息をついた。

「佐藤様は、本日初めてのお越しでしたね」
「は、はい。……すみません、いきなり、来てしまって」
「いいのです。丁度予約も空いておりましたし、何より困っているお人のための魔法少女相談事務所ですから」

 ラピスは鷹揚に頷き、佐藤の一挙一動を速やかに肯定する。
 慣れた口ぶりだと、チャロは素人目ながら感心した。
 通常なら触れるのも躊躇するような重たさを、ラピスは少しずつ暖めながら受け入れている。
 冷たく重い気持ちに侵蝕されないような、上手い立ち回りであった。

「……今日は、本当に半信半疑で来たんです」

 そうして、やっと佐藤はおとがいを開く。
 それは芯まで削れきった男の、一世一代の告白のようにも思えた。

「僕は今、ある企業で働いているのですが……人生に、嫌気が差してしまって」
「まぁ……どうして?」
「何をやっても、上手くいかなくて。自分に価値を見出だせないんです」

 段々と、その声が震えていく。
 それは細い水道から、徐々に徐々に大量の冷水を流す様に似て。
 チャロは思わず、固唾を呑んだ。ここまで憔悴しきった人間を、彼は今まで見たことがなかった。

「仕事で評価されることもなくて、周囲に迷惑ばかりかけて……それでも、なんとか皆に認めて貰えるよう、がんばろうとしたんです」
「……」
「でも、上手くいかなくて。邪魔になってばかりで……僕は、僕は怖いんです。自分がどうでもいいやつとして扱われて、何も見てもらえなくなって……見捨てられるのが、怖くて……」
「……そう。そうなのね」

 いつの間にか、ラピスは佐藤の隣に座っていた。
 文雄よりも歳若い……息子の段と六つほどしか違わない青年は、随分と小さく縮こまってしまっている。

「大丈夫、大丈夫ですよ」
「……うぅ」
「ここでは、貴方は貴方。素のままの、素敵な貴方だから」
「うぅ、ぅうう……!」

 そんな彼の背を、ラピスは優しく抱き寄せた。
 まるで子供をあやすような優しい手つきで、童心に還るように佐藤は泣きじゃくり始めた。
 後から聞けば、これも魔法であり、テクニックなのだそうだ。
 茶葉に冷え切った心を温める祈りを込め、半纏に素直になるよう願いを仕掛け、手で触れながら相手を肯定する想いを浸透させる。
 満遍なく魔法で浸し、心を毒するものを全て吐き出させるのが、この相談の役割なのだ。

「……よく、頑張ったね」
「うぇ、ぅぅ……」

 思わず、チャロもラピスの反対側に座り、その背を撫でていた。
 手のひらに彼が救われるよう、想いを乗せる。

 社会の荒波に揉まれるのは、誰だってあり得ることだ。
 しかし、だからといってそれにすり潰されることを「当たり前」という程に、チャロは、田中文雄は冷血ではなかった。

「大丈夫。大丈夫だよ」
「私達が、いますからね」
「ぅぅう……!」

 必要なのは具体的にああしろこうしろと命じることではない。
 孤独と絶望に押し潰されそうな人に寄り添い、魔法をかけることである。
 ゆっくりと、ゆっくりと、二人の魔法少女は、時間いっぱいまで佐藤の氷を溶かし続けていた。

***

「……思ったより、ハードでしたね」
「まぁ、茶目っ気ばかり出せるわけではありませんな」

 あれから元気を取り戻した佐藤が旅立ち、佐藤と似たような境遇の男女が二人来た後で。
 日も暮れ、今日の予約が片付いたところで、ようやく二人は魔法少女化を解いた。

「ですが、必要なことです。我々が思っているよりも、ああして苦しむ人は多い」
「……そうですね。帰っていく人達の顔、随分とホッとしてましたもんね」
「えぇ。真実は知らない方がいいのは確かですがな」

 そう言いながら、浦戸は昼食を取る。
 ちょくちょく菓子は食べていたが、それでも心のエネルギーを非情に消耗する時間だったことは言うまでもない。
 これから夜の部が待っているので、腹に物を詰めておかないと後が厳しいのだ。

「……浦戸さんは、何故相談役を?」
「衣装が汚れるのが嫌でね」
「そ、そうですか……」
「まぁ……他の皆は、真面目に受け取り過ぎますからな」

 それは皮肉のようで皮肉でない、純粋な評価であった。
 真面目に受け取ることは良いことである。しかし佐藤のようなケースの場合、それが仇となって誰かが傷ついてしまうこともある。
 ならば気負い過ぎず、離れることもない浦戸のやり方が、一番合っているのは確かであった。

「それに、休みは他の皆より多いですし、給与も他の皆と変わらない。案外と、悪くないのですよ」
「……そうですか」
「そうですとも」

 そう言って、二人はいたずらっぽく笑う。
 決してこの相談役も、悪いことばかりではない。
 人を笑顔にするのは、最高の悪戯なのだ。
 
【つづく】

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